オタクだからと迫害された話

僕は小さい頃、コミックボンボンを愛読していた。

この始まりで一部の人は察すると思うんだけど、ようは英才教育を受けてなるべくしてなったオタクだということ。

ガンダムが好きだし、ロボットが好きだし、漫画アニメも大好きな中学生へと育った。

 

僕は田舎で育ち、小学校のメンツがそのまま上がる中学に漏れなく進学した。

本当に狭い世界だった。

合わない人間はすぐに爪弾きにあい、そしてそのまま戻ることができない世界。中学2年生に進級する頃には保健室登校の生徒が3人いたし、不登校の生徒もそれと同じくらいいた。一学年80人そこらの小さな学校では異常な数字だったと思う。

21世紀にもなって短ランにボンタンなんて奴もいた。他校の生徒と殴り合いの喧嘩をしてきたことをさも武勇伝のように話す彼らを心底見下していた。しかし狭い世界では見下している彼らこそがカーストの上位を占めていた。

そんな中でそれでも僕はうまくやっていた、と思う。元来ひょうきんものだったのでうまい具合にいじられて笑いを取るようなポジションにいた。こう書くとなんだか可哀想にも聞こえなくないが、あの世界のカーストで言えば中の上くらいにはいた。文化祭で一人コントをやったことからも勇気のある本当に面白いことをしたい人に映っていたはずだ。

 

 

 

しかし、そんな生活が少しだけ変わってしまう出来事があった。

中学3年生の年に、電車男が流行ったのだ。僕自身はオタクの歴史というものに詳しくないので確かなことは言えないが、電車男をきっかけに世間にオタクという存在が認知されたのではないだろうか。

それまで教室でアニメやガンダムの話をしてた僕らに名前が付いた。「オタク」だ。

それ以前はなんともなかったのに、教室でそういった話をしていると「オタクくせぇ」と笑われるようになった。なんとなく僕に対する口調が強くなった。「萌え〜って言わないの?」とニヤニヤしながら聞かれることもあった。

居心地が悪くなった教室にいる時間は減って、廊下や校庭で友達と話す時間が増えた。別に周りはなんとも思ってなかったかもしれないけど、僕には辛い時間だった。真綿で首を絞められるような、じわじわと精神を削られる日々。

その後、オタクいじりが続いたまま中学校を卒業した。卒業式後の慰労会では相変わらずひょうきんものを演じてた僕は出し物をするクラスの代表に選ばれた。口では「やるやる〜」なんて乗り気だったけど、こんな奴らのためにやりたいことなんてなかった。

 

 

高校に進学するのもなんだか気が重かった。またオタクとして馬鹿にされるのかなぁと思うとしんどかった。

でも僕の考えは良い意味で裏切られた。

高校入学してすぐに文化祭がある。まだ特別仲良くもないクラスで出店をするのだから良いものができるはずがなく、僕のクラスはかなりしょぼいヨーヨー釣りになった。よそよそしい態度が抜けきらないクラスメイトたちはぎこちない感じで準備をしていた。

どんな会話の流れか忘れてしまったけど、不意に一人が「うそだ!」と叫んだ。僕は吹き出してしまって「レナじゃん」と言った。言ってから、しまったと思った。普段幼馴染みと話す感じで言ってしまったが、こういう風に知ってる人しか分からない会話をして馬鹿にされることが中学の頃にはままあった。オタクであることは高校のクラスメイトはまだ知らない。言うつもりもなかった。またあんな時間を過ごすくらいなら自分を偽ろうと思っていたからだ。

「お前、ひぐらし知ってるの?」

帰ってきたクラスメイトの反応は意外なものだった。

「知ってる。俺ひぐらし好きだよ」

「マジか!俺も俺も!」

一人が言い出すと周りのみんなも話に加わってきた。話すとみんな大なり小なり漫画もアニメも大好きで、あの狭い世界ではオタクと呼ばれてしまうような人たちだった。

でもそこで分かった。あの狭い世界でオタクだと迫害されるような人でも、世間では容認されるのだ。

 

さらに驚いたのが、所属してたバスケ部の同級生もガンダムが好きな奴や毎週プリキュアを観てる奴がいた事だ。運動をしている=オタク的コンテンツは嫌い、という図式が自分の中で勝手に出来上がっていたのだが、そんなことはなかったのだ。僕は、自分の過ごしていた世界がどれだけ狭かったか思い知った。

漫画がきっかけで高校時代に彼女もできた。なんかそれこそ漫画みたいな話だったからそれはまた今度書きたい。

 

もちろん、僕のような人種を気持ち悪がる人もいる。クラスメイトの女子がブログで「うちのクラスの男子、オタクばっかでキモい」と書いてたことを知っている。それをわざわざ知らせてきたのは別の高校に進学した、真っ先に僕を馬鹿にしてきた中学のクラスメイトだった。まだあの狭い世界で生きているのだな、と思うとあれだけ怖かった彼がずいぶん小さく見える。

 

 

学生時代は自分の生きている世界がこの世の全てだと勘違いしていた。でもその外にも世界は広がっていたし、高校、大学と世界が広がるたびに新しいタイプの友人も増えていった。

かけがえのない出会いはきっと辛い記憶のその先にもあるはずだから、いま自分で自分を殺そうとしてる人がもしいたら、思いとどまって欲しいと思う。