ポケモン映画を観ました

みんな、ポケモン映画っていつまで観てた?

僕と同じくらいの世代の人(僕は1991年生まれ)だとドンピシャ初代から触れ始めた世代なので恐らくセレビィラティアスラティオスくらいまでじゃないかなぁ。

僕もラティアスまで観て一旦ポケモンを離れたので世代の話で言うとそこまでで止まっていた。

ただまぁ無事にオタクに成長して鮭の如く母川回帰して、ゾロアークあたりからはたまに行けない年もありながら継続して観に行ってる。

ただ僕はポケモンのゲームに戻っては来たがアニメには戻ってきていない。じゃぁ何でアニメの劇場版を観に行くかと言うと、「ポケモン映画商法」と呼ばれるポケモン配布があるからなのだ。

これを読んでるのはおそらくオタクの方が多いかと思うので(失礼)詳しくは説明しないが、ようは映画を見に行くと特別なポケモンを渡しますよ、というもの。

結構アコギな商売だなぁと思うし、実際結構非難を受けてるんだけど、これでもまだ良くなった方なのだ。以前は前売り券を買った人に、だったので。もちろんいまでも前売り券を買えば特別なポケモンが貰えるのだが、映画を普通に観に行くだけでも目玉のポケモンは貰えるようになった。

 

 

人を惹きつける要因になったとも言えるが同時に、この商法のせいで犠牲にしたものもある。

「映画のストーリー」である。

ゲームが大元でアニメは販促とまで言われているポケモンだが、劇場版に関してはこれが顕著。

大体は目玉ポケモンが悪者に捕まる(ミュウ系統の幻ポケモンは大体これ)か悪者に起こされた目玉ポケモンが暴れるの二択。それをサトシが「やめろーっ!」って言って止める。映画のコナンで必ず「らーん!」って叫ぶようなもの。もはや様式美。お約束だから変える必要はない。

 

 

 

 

 

なんて事はないのである

コナンは確かに蘭の事を呼びがちだが人気キャラを従えながらも、もちろん元がしっかりとしたストーリーのある漫画なので内容も良く興行収入を毎年更新する中、ポケモンはいまいち伸び悩んでいた。

もちろんポケモン映画も名作と呼ばれる作品はある。個人的にもミュウツー、ルギア、ラティアスラティオスなんかは本当に良い作品だと思う。

でも最近はずっとワンパターンでマンネリ…とおそらく誰もが思っていたであろう2017年。そんな現状を打破する作品が公開された。

キミにきめた!」である。

ポケモン映画20作品目のメモリアルとして作られたサトシとピカチュウの出会いのリメイクと呼べる作品である。

それまではその時期放送されてるテレビアニメのいわゆるエクストラステージの様な作品だったのを完全にテレビアニメとは切り離し、映画単独で観れる作品にしたのが「キミにきめた!」である。

初期の人気エピソード「バイバイバタフリー」やヒトカゲのエピソード(少し改編あり)を入れて、第1話から延々ほったらかしにしていたホウオウとのエピソードを主軸に置くという、これでもかというほどの古参釣り作品だ。

もう20年も前になってしまったサトシとピカチュウの出会いを改めてやることで現在のちびっ子たちにも優しい。

旅に同行するのがタケシ、カスミではなくなっていたり、どう考えても必要のない目玉ポケモンの存在があったり、極端に賛否両論を呼んだピカチュウお喋り問題など、作品の粗自体は確かにあったのだが、これがバカ受け。制作陣もこれに気分を良くしたのか翌年も本編のサンムーン編は無視してストーリーに力を入れた「みんなの物語」を制作。前年のキミきめ越えはならなかったが十分と言える評価を得た。

そして謎の3Dリメイクミュウツーを挟んで、コロナ禍のせいで延期して「冬もポケモン」という新たなコピーを携え今年度公開されたのが新作「ココ」である。

前置きが長くなったがここからその「ココ」の感想である。

 

 

※ここからは多分にネタバレを含みながら語るので、これから観るよ、新鮮な気持ちで観たいよ、という方は迷わずバック推奨。

 

 

あらすじ

ポケモンマスターを目指して旅を続けている少年・サトシとピカチュウはオコヤの森でポケモン・ザルードに育てられた少年・ココと出会う。(Wikipediaより抜粋)

 

 

 

上記の簡単なあらすじを見て見識のある皆様ならもうお分かりだとは思うが、身も蓋もなく言ってしまえば「ターザン」である。

ゴリラに育てられた然り、狼に育てられた然り、もはや王道も王道。親の顔よりは言い過ぎかもしれないが、たまに法事とかで会う親戚よりは見たことのあるありふれた設定である。

逆にこれだけ王道の設定なので安心感すらある。奇を衒わなければまず間違いなく面白くなるのが目に見えている。安心して映画館に行こう。

 

 

 

絵に描いたような王道展開

さて、実際に観に行ってみると…。

うん、思い描いていた通りの展開だ。

森に捨てられた子供を見つけた猿のようなポケモン・ザルードは彼のことをココと名付け、群れから追い出されながらも育て始める。

人間の街に置いていこうとも考えたし、親の手がかりも探した。しかしその過程でココの本当の両親が既に亡くなっていることを知り、自分の手で育てていく決心をつける。大変ながらも子育てを通し2人は本物の親子になっていく。

最初予告とか見てた感じはザルードは嫌々育ててるのかなぁと思ってたがそんな事はなく「さすがは俺の息子」と親バカなところを序盤から見せてくれたのでなんだかホッコリする。

森のポケモンたちを助けながら暮らしてたココだが、ひょんなことからサトシと出会い人間の存在を知り、自分がポケモンではなく人間であることを知る。人間と仲良く暮らすポケモンや街で出会うアイスや花火、新鮮な驚きに満ちた人間の世界。彼はそれを教えてくれなかったザルードに怒りを覚える。

育ての親であるザルードと本当の親子ではないことで喧嘩してしまうが、そんな2人の暮らす森を悪い人間が荒らしに来て…。

 

ね、みなさん。

見たことあるでしょ?

もうここまで読んだみんなは観なくても良いだろと思うだろうが、僕が感動してこうやって感想を書き出したのは最後の終わり方にある。もう少しお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

成長だけで終わらせなかった自立の物語

終盤、悪者を倒すことができたが彼らの住む森は目も当てられないほど荒れてしまっていた。

しかし、森に住むポケモンたちと、一時は悪事に加担してしまった人間たちが手を取り合い森の復興を進める事になる。

それを目にしたココは感動し、自分もポケモンと人間の架け橋になりたい、それが自分にはできると確信する。ポケモンの言葉が分かり、そして種族としては人間である自分だからこそ。

サトシが森を旅立つ日、その背中を見送ったココは父であるザルードに「旅に出たい」と告げる。何を馬鹿なことをと一蹴するザルードだったが、彼の本気な姿を見て「勝手にしろ!」と怒ってしまう。一抹の寂しさを感じながらもココの決心は固く、家と言うか巣に帰り荷物をまとめて身支度を済ませる。

しかし、実は怒ったフリだったザルード。森のポケモンたちに彼の旅立ちを盛大に祝って欲しいとお願いしていたのだ。

サトシを追って駆け出すココ。サトシを見つけた瞬間、急いでいた足が絡み合い転んで荷物をばら撒いてしまう。彼の鞄の奥から転がり出たのは父であるザルードと植えたモモンの実。

「俺、こんなの入れてない」

瞬間、最大に上がる"花火"。彼が出て行くことを何となく勘づいていた父からの別れの挨拶だった。

それを見て泣き、そして拭い彼は走り出す。

「サトシ、またどこかで会おう!」

サトシを追い越し、ココは広い世界へと旅立つ。

 

 

 

 

 

 

僕が感動したのはただの成長物語として終わらせる事なく、ちゃんと父から自立する少年の物語に昇華した事だ。

人間とポケモン、種族の違う彼らが本当に絆で親子になったところで終わらせず、そこからもう一歩踏み込んで親子に起こり得る親からの自立を描いたのが素晴らしい。

森を守っていくという安易な決着ではなく外を見たい、新たな夢を見出した子と、それを不器用ながら送り出した父の、時代が変わっても不変の親子愛の物語を、まさかポケモン映画で見れるとは思わなかった。

 

そしてポケモンの素晴らしいところはもう一つ。

サトシとココが連れ立って旅立たなかったこと。

彼らにはそれぞれ目指す夢があって、きっと2人でもその夢を追えたのかもしれないけどそうはしなかった事が素晴らしい。

ポケモンは過去の映画やテレビアニメでもそうだが、それぞれの夢のために仲間と別れ旅立つ事が多い。まぁレギュラー交代とも言えるのだが、これは冒険物語としては描かなければいけない事だと思う。

夢を追う仲間がいて、決して一緒にいる事だけが仲間じゃない。離れていても道が違くても同じように頑張る仲間がこの世界のどこかにいるだけで自分も頑張れる、これも自立の話なのである。

僕はこのお話を観た時、間違いなくポケモン映画の歴史に残る名作になると確信した。

 

 

 

 

 

岡崎体育の音楽の素晴らしさ

ここからは少し蛇足。

今回の「ココ」は全編音楽を岡崎体育氏が担当されている。

言ってしまえば「ポケモン映画のRADWIMPS」と化したのだ。(なんのこっちゃと思った方は近年の新海誠作品をよろしく)

この音楽がまた素晴らしい。

岡崎体育、どれだけ音楽の引き出しがあるんだと驚かされる。

特にこの映画の象徴的な音楽である「ふしぎなふしぎな生き物」。

ポケモン初期をご存知の方はご存知かと思うがポケモンは「ふしぎなふしぎなポケモン」と銘打たれていた。ここにかけてタイトルは「ふしぎなふしぎな」としているがこの曲で登場する不思議な生き物は父から見た子供である。

映画とシンクロして泣けるのはもちろん、曲単体で聴いてもとんでもなく名曲。トータス松本さんの歌声がまた父感があってまたベネ。

流石にポケモン映画観に行くのは恥ずかしいぜ!って方もこの曲だけは是非聴いて欲しい。

 

 

 

 

 

 

おわりに

今回の「ココ」は残念ながらコロナ禍の中にあって興行収入は伸び悩んでいるようだ。

この名作が埋もれてしまうのは実に残念なので、後年でもいいので評価されて欲しい。

ポケモン好きでもそうじゃない人も、観て損はない作品になっていると思う。

とりあえず「ふしぎなふしぎな生き物」だけでも聴いて?