種自由を観てきて、32歳男子はやっと喉につかえ続けていた骨が取れた

僕ら世代にとってはガンダムSEEDはファーストだった。

これは公式側が狙った「新世代のファースト」が狙い通り刺さったという以上の意味で、僕ら世代にとってはガンダムに対する原初体験だった。のちに様々なガンダム作品に触れることで粗やヒロイック過ぎるガンダムという事に気づくのだが、それでも無碍にできないのが僕らにとってのSEED(以下種)という作品である。

そしてそんな僕らに呪いを残したのが続編ガンダムSEED DESTINY(以下種運)である。

後世他媒体やスパロボなどの参戦作品で多少のフォローがなされ、当時を知らない人ほど悪く言う人が少なくないように思える種運だが当時リアルタイムで観た少年少女たちはそれなりに不満を覚えたはずである。

破綻していくストーリー、ストーリーのために奇天烈な言動をする壊れたキャラクターたち、ありえない頻度で挟まる総集回、多用されるバンク…etc

第1話のワクワク感は正直歴代ガンダムでもトップクラスだっただけにその落胆振りはすごかった。種は擁護できても種運は擁護できない。僕はそんな風に思いながら成長した。

特に僕が不満に思っていたのは種運のキラとラクスだった。突然現れて天災かのように戦況をかき乱し、その行いが全て肯定されていくストーリー。神に愛されている、というかまるで神そのもの。種ではまだ悩みながら人間臭く不満を口にもしながら、それでも優しさゆえに戦場を進まなければいけない人間臭さがあったキラだったのに、達観極まり常時賢者モードみたいな…。

とにかく僕ら世代は大なり小なり種運に呪いをかけられたと思う。一生このまま憎み続けなければいけない呪いに。

 

 

 

 

 

 

そして、まさかの2024年に公開された劇場版「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(以下種自由)」。劇場版制作決定の報が出たのは種運終了すぐだったように思うがその後全く音沙汰なし。リップサービスだったんだなと自分を納得させ、もはや自虐ネタの一つと化していた劇場版が本当に公開されるだなんて思ってもみなかった。

当時呪いにかけられた少年少女たちは正直期待をせずに怖いもの見たさで公開日を迎えたように思う。もう種運の時のように期待して落とされたくなかったのだ。

しかし実際に見られたSNSの反応は、あの頃の呪いを浄化され成仏していくオタクたちだった。

僕も観に行くつもりではあったけど、そんな反応を見せられると一刻も早く観たくなってしまう。

そして昨日、遂にそれを観たのだ。

以下、ネタバレを含みます。公式からバンバンネタバレされてる現状ですが、それでも出来るだけ情報を入れずに観に行ってもらいたいので、観てない方はここでバックしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前述したように、僕が種運で一番不満に思っていたキラとラクスであるが、彼らが神から人に落とされたように思った。というか、種の時のような苦悩する一人の人間としてちゃんとスポットライトが当たっていた。種からリアルタイムで見てきた僕らにはそれが嬉しかった。好きな人ひとり、気持ちが分からない、すれ違う。それに悩む。それで良いんだよ。だって彼らは戦場の神様でなく、一人の若者だもん。好きな人で悩んで当たり前。

種自由は愛の物語だった。それは正直種の頃からずっとそうだった。この点に関して、おそらく僕らより上の世代のガンダム好きな人は難色を示す事だろう。でも、あなた達が宇宙世紀に刷り込みされ、それを特別に大事にしてるように、僕たちはこのコズミックイラが初めて見た親で、だからこれをくだらないと思えるのと同時にこれをずっと見たかったとも思うんだ。

自分の武器は「ラクスの愛」だと言えるキラ。めちゃくちゃくだらないけど、僕はすごい好きだよ。キラはアムロにならなくていい。好きな人で思い悩むのだってキラらしさじゃん。

映画のラストで2人が裸になって海岸で立つカット、種シリーズの謎に裸シルエットのセルフオマージュのファンサービスであると共に、彼らが立場や生まれを気にすることなくただの一人ひとりとして向き合えるという意味も見て取れて、素直に泣いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

個人的にはキラとラクスの部分で十分満足に値するんだけど、語らなければなるまい?

これはロボットアニメなのだから、ロボットの事を。

事前公開されてたライジングフリーダムが個人的にかなり刺さるデザインだったのでそれだけでめちゃくちゃ期待してたんだけど、出てくるMSが悉く「これこれー!」と言わされた。かなり立体物欲しい。

これに関しては順番に語らせて?

 

まずライジングフリーダム。映画観るとやられメカ感あるけど、活躍シーン十分あったし、やっぱ何よりビジュアルが好き。顔が特に好き。特典のフィルムがライフリの顔どアップだったので大当たり。ライフリはプラモ買います。

 

次にデスティニーspec2。デスティニーは発展機じゃなくて中身バージョンアップさせただけかぁ、と思ったけどシンが嬉しそうだったので満点です。僕が好きな漫画のDesireでシンがデスティニーに抱いている特別な感情がこれでもかと表現されてたので、ただのデスティニーである事がシンにとってどれだけ大事か分かったのでもう後方腕組み面。まさにシンにとっても「必要だから愛したのではなく、愛したから必要」だった機体なんだなぁ。

あと、少し地味になったカラーリングだけどSNSで「レジェンドのカラーリングに酷似している」という投稿があって泣いた。僕はそういうのに弱いオタク。

 

続いてインパルスspec2。一番パイロットのミスリードを誘った機体だと思うけど、シンの乗るデスティニーの隣にルナが駆るインパルスってのはやっぱ良いね。公開前に公表されたフォースはあんま変わり映えしなくてちょっとなんだかなぁと思ってたんだけど、ブラストのカラーリングが完全に刺さった。今回の映画で一番立体物が欲しい機体。

元々インパルスが好きって事と、シルエットが変わるとカラーリングも変わるってところがすごい好きなんだけど、今回のブラストのカラーはドンピシャ。あと、ソードも良かった。まさかの赤一色で完全にルナマリアカラー。もはや擦られ過ぎてる「ルナは本来射撃より格闘の方が得意なのに与えられた専用機が射撃機」というネタを、格闘特化のソードインパルスに専用カラーを与えてくれたのはあまりにも分かってる。

フォースは現状購入を迷ってるけど、ソードとブラストがプラモ出たら迷わず買う。あわよくばRGで出てくれまいか。

 

あとこれは語らざるをえまい、デュエルとバスターの発展機。正直種運放送当時、「流石に最終決戦にはイザークディアッカがデュエルとバスターに乗ってきてくれるはず!」という淡い幻想をぶち壊されて20年、まさかあの頃の幻想をこうして拝めるとは思わなかった。しかもデュエルはブリッツ要素も継承しての登場。イザークとニコルがそこまで懇意だったという記憶は自分には無いのだが、そうは言っても同期だしちゃんと思うところがあったんだな。このデュエルバスターの登場も成仏に一役買っているのは間違いない。

 

ズゴックはもうズルかった。映画館で吹き出すって経験は後にも先にも無いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当にたくさん語ることのできる、はちゃめちゃお祭り作品だった。数多くの亡霊が成仏できたことも納得。

粗が目立つってのは最早種シリーズのディスとしては検討外れになりつつある気がする。それすら楽しめるかどうかでこの作品の評価が変わるんじゃないかな?

あと、アルター使いことアコードがキラを失敗作呼ばわりしてて、俺の脳内のカナードが絶叫してた。以上。

ウィッシュを観て不満に思ってる人たちの気持ちが分かったけど僕なりの見解

はい、というわけで観てきましたよ。

ディズニーの100周年を記念する作品「ウィッシュ」を。

僕個人としては同時上映される短編、「ワンス・アポン・ア・スタジオ」を楽しみにしていて、それのついでくらいの気持ちではあった。しかしこちらのワンスはDisney+で先行配信されてしまい「いよいよウィッシュを劇場に観に行く意味が…」と思ってたがウォルトディズニージャパンは「ワンスの吹き替え版を観れるのは劇場だけ!」という姑息な手を使ってきた。おかげでウィッシュを劇場に観に行く理由ができたのだが。

ワンスについてはまた後日書きたい。

 

 

 

 

さてさて、この「ウィッシュ」。

ディズニーがこの100年で何度も繰り広げてきた「願いの物語」を真正面から描く、という触れ込みだったのだが、この願いについてはもうディズニーは書き切ってしまっている、というか手を尽くしてしまった節がある。

白雪姫やシンデレラなど、王子様に迎えにきてもらったり魔法使いの魔法で願いを叶える物語が主だったディズニークラシックと呼ばれる初期作品から少しずつ「願いは自分で叶える」という物語に変遷していった。

その到達点が最後の手描きアニメとなった「プリンセスと魔法のキス」である。父の夢だったレストランを開く夢を自分の力で叶えようとする主人公・ティアナは力強い新時代のプリンセス像として海外のディズニーパークでは根強い人気がある。(初の黒人プリンセスであるという点もあるが)

そして翌年公開された「塔の上のラプンツェル」では「願いを叶えてしまった後はどうすればいい?」という言葉が出てくる。ラプンツェルのその言葉にユージーンは「それが楽しいんじゃないか。また新たしい夢を探すんだ」と返した。

それからまた6年後に公開された「ズートピア」では警察になる夢を叶えた主人公・ジュディが夢見た世界とのギャップに苦しむ姿が描かれる。ズートピアに関しては願いを叶えるプロセス自体はダイジェストで終わらせ、そこは重要ではないことを示した。

このようにもう願いを叶える、叶えた、叶えた後まで描かれたディズニーで願いに関して新しく描く事はほとんどない。

じゃぁ、今回の「ウィッシュ」で描かれたのは何かというと「過去100年の願いの物語のオマージュであり再生産」である。

ここが、人によっては今作を駄作と評価してしまう理由に思う。

今作は100周年記念作品ということもあり、イースターエッグが数多く隠されている。だけでなく、オマージュがそこかしこに散りばめられている。というかもはや継ぎ接ぎ作品に見えてしまうくらい。

ただもうこれはディズニーからの「100年という歴史の重み」でぶん殴って黙らせにきているというだけなのである。それを不快に思うか、これぞディズニー!と喜ぶかで評価が分かれてくる。個人的には「100年鈍器を分かっててぶん回してるディズニーたまらねぇ…」だったので概ね肯定派です。

個人的にストーリー展開が薄くてあともう1,2回くらい展開が変わらないか?と物足りなさがあったけど「オマージュと音楽入れたらもう話が転ばなかった!」という開き直りっぷりも「まぁクラシック時代ってこんなもんだしな」と勝手に納得した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今作で人気が出ていると共に扱いに不満が漏れているのがヴィラン・マグニフィコ王である。

彼自身は元々多くの人の願いを大事にしたいと思う努力家の魔法使いであり、行き過ぎてしまい暴走、最後には酷い王様として断罪される。

この最後に対して「会心エンドでもいいんじゃないか」「今までは良い王だったのに急にみんな手のひら返し過ぎ」などの意見が目立つが「ディズニークラシックのヴィランなんてこんなもんだったじゃん。これはディズニーから『100年間で散々観てきただろう!?』と書かれた鈍器で殴られたようなもの」と納得した。もはやこの作品はそういった作品だということを念頭に入れなければ純粋には楽しめない。真剣に話を考察したり考える物語ではないのである。ディズニーというエンタメを分かりやすく作ったのが「ウィッシュ」であると言っても過言ではない。

そういう意味では「ウィッシュ」は100周年にふさわしい願いの物語だったと言える。なので非難の声も分かるには分かるが、僕と嫁は大変満足している。

何よりエンドロールで気持ちよく終われたので文句なし。

ディズニー好きじゃない人には全くおすすめしないが、ディズニーが"純粋に"好きという人にはおすすめ。うがった見方とか考察しなきゃ気が済まないタイプは絶対観に行くな。

飛行機になりたかった僕となれなかった僕の幸せ

ここ最近漫画の読む本数が減った。

これに関しても後述の話につながるのだが、そんな減った本数の中でもここ数年でブッ刺さった漫画が3冊ある。

左ききのエレン」

ハイパーインフレーション

「ブルーピリオド」

上記の3作品である。

ハイパーインフレーションは若干他二つと毛色が違うが、読んでて一番刺さったシーンから自分がいま何を感じてるのかが見えてきた。

僕は全てを捧げるようなクリエイターになりたかったのだ。

 

 

 

f:id:wq7545:20230905125011j:image

 

 

左ききのエレン」のワンシーンである。

この柳という男は実の親が亡くなって休んだ先輩がいない間に、その席をポジションとしても実際の空間としても奪い、親が死んだくらいで甘いと吐き捨てるような最低な人間だ。もちろんこの発言に先輩も激昂し「てめぇ、人間かよ!」と言うが、それに対して「ぼく人間ちゃうわ デザイナーや」と返すほど、人間としては間違いなく最低だがデザイナーという仕事に誇りを持った男なのである。

とにかく最低な発言が目立つのだが、めちゃくちゃに人気があるし、実際彼の発言には惹かれるものがある。

それはクリエイターとして限りなく純粋であり、その道を夢見たものが憧れる姿でもあるからだ。

上記のシーンの発言も彼が目的の為には全てを削ぎ落とすことの美しさを語っている。もちろん一般人には彼の道理を理解はできても納得はできない。それでも彼が人気があるのは、この納得できないながらも狂気の中で物作りをする彼にどこか羨ましさを感じるからだ。僕もそうだ。

彼のように全てを捧げて何かを世に残す事ができたらどんなに幸せだろうと思う。

 

 

f:id:wq7545:20230905121149j:image

 

 

 

続いて「ハイパーインフレーション」のワンシーン。

紙幣作りに命をかけ、あらゆる偽札を葬ってきた「偽札殺し」とその偽札殺しを上回る偽札を作ろうとしているビオラ

お互いが全てを投げ合ってでも、ただ一つだけは誰にも負けたくない、これだけは完成させたいという執念を見せるシーン。

これもまさしく柳と同じである。この姿に笑ってばかりだった「ハイパーインフレーション」の中で唯一泣いたのだ。

 

 

 

 

 

「ブルーピリオド」も美術に捧げる思いが散りばめられている。かつての自分もそこにいたのに、と私は少し寂しくなりながらこの漫画を読んだ。

大学生の時、僕は小説家になりたかった。全ての人の目に入るものを作りたかった。初めての一人暮らし、知り合いのいない土地で、馬鹿騒ぎをする周りの学生を心底馬鹿にして、「お前ら全てが悔しがって過ごした時間を後悔するような作品を書いてやる」と思って創作し続けた。

 

 

 

 

月日が流れて僕は普通に就職して、結婚をし、子供が産まれた。僕は何一つ手放せず、あの頃描いていた未来とは全く違う今を生きている。それが幸せでないと言えば、もちろん嘘になる。妻の笑顔も娘が呼んでくれる声も、全てが愛おしい。自分の人生が間違っていたとは露程も思っていない。

自分に使うお金は減ったから昔みたいに片っ端から漫画を買い漁ることはできないし、自由に遊んだりもできなくなったけど、代わりに手に入れた幸せが両手に溢れてる。

ただ少しだけ、選ばなかった未来が後ろ髪を引く時があるだけだ。

だから自分が選べなかった道を写す漫画に取り憑かれたのかもしれない。

【創作】桜道

お題「桜」

 

 

 

 

 外の雨の音が少しだけ静かになった。

 部屋の中、最後に何も忘れ物がないか確認していた僕は、雨が弱まった事に安堵したような、残念なような、複雑な気持ちになる。雨が強ければ、ここを出なくても良いかもしれないと、無責任に思っていた。そんな事ないのだけれど。

 ケータイが震える。ディスプレイを見ると二葉から「もう着く」と簡素なメールが届いていた。それを確認するとほぼ同時に家の呼び鈴が鳴る。メール、送るタイミングが変じゃないか。

 バッグひとつを肩に掛け、自室を出る。他の大きな荷物は既に業者のトラックに積まれ出発していた。自室を振り返ると、残っているのはおそらくもう使わない子供の頃から使ってる物だけだ。小さくなったけど無理して使い続けたベッド、学習机、サッカーボール。何でもなかったその部屋が急に愛おしい。

 玄関を開けるとやはり二葉だった。彼女は右手を軽く上げて「よっ」とだけ挨拶した。僕も倣って同じ挨拶を返した。

 傘立てから一本大きな傘を取り出して開くと、彼女も入ってくる。彼女の手にも可愛らしい花柄の傘があったが、どうやらそれは使わないらしい。

 二人で歩き慣れた駅までの道を歩く。付き合い始めてから、いや、それよりも前から二人で駅まで一緒に登下校していた。だからもう飽きてるはずの道なのに、その道が愛おしくて、寂しくて、僕の足はゆっくりになる。彼女の歩幅よりもゆっくりなそれに合わせて隣を歩く彼女に、余計寂しさを感じる。

 駅まであと百メートル、ここから駅までは桜並木道になる。道の両脇に植えられた桜は圧巻で、時期になると地元の人やわざわざこれを見に来る観光客で賑やかになる。しかし、ここ数日続く雨でずいぶん花が落ちてしまって、雨のせいで人もまばらだ。

 僕らは足元を見て歩いていた。道に落ちて汚れてしまった桜の花を見ながら歩いた。ぐしゃぐしゃになって、アスファルトの灰色が透けて、汚い色になっている。少し上を向けば、まだそれでも枝に残った綺麗なピンク色の花を見る事だってできたのに。双葉は喋らない。僕も、喋らない。

 駅に着いて、一番高い一番遠くまで行く片道切符を買った。見ると、隣では彼女が入場券だけ買っている。改札でお別れを言うものだと思っていたから、まだもう少し一緒にいれるのが嬉しかった。

 改札を抜け、二番線ホームに立つ。あと十分ほどで電車が来る。双葉は喋らない。あと五分。あと二分。二人とも喋らない。

 遮断機の降りる音が聞こえて、二番線へと入ってくる電車がカーブを抜け視認できた。どんどん遮断機の音が近づいてきて、まるで何かの勧告のように聞こえる。一番近い遮断機が降り、その大きな音に紛れてしまうような小声で彼女が「元気でね」と言った。僕も「二葉もね」と返した。

 目の前に止まった電車が大きく口を開ける。僕を夢へと運ぶその電車が、僕らを永遠に引き裂く怪物のように見えた。重い足を上げて、怪物の口の中に飛び込む。

 扉の近くに立ち、彼女と向き合う。伏し目がちで視線が合わない。出発を知らせる汽笛が鳴り、扉が閉まる事を駅員が報せる。僕は一言、「バイバイ」と言った。彼女がハッとして顔を上げた。

 扉が閉まる。彼女の目から一筋、涙が流れたかと思うと、表情をくしゃくしゃに崩して口が動く。何度も何度も同じ言葉を繰り返す。彼女の目からボロボロと涙が溢れる。彼女の口が「またね」と繰り返していた。

 さっき言った言葉を後悔した。彼女が最後に欲しかった言葉は別れの言葉じゃなくて次までの約束だったはずなのに。僕も「またね」と口に出した。もう声が届いていない。

 電車がゆっくりと動き出す。彼女は追いかけてこない。小さくなっていく彼女の姿、その肩が震えてるのが分かった。

 同じ車両に人は少なかった。それでも僕は声を押し殺して泣いた。車窓から見えた桜は、やっぱりまだ花も残っていて、僕らがお互いに見せ合うことのできないハートのような綺麗なピンクだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり

【創作】恩師の言葉

「これ、僕がもらっていいんですかね…?」

 

 文芸学科棟の学長室に呼び出され、ゼミの担当教員でもある長谷川氏に自分が出した卒業制作が学科賞を貰えると聞いて僕の口から出たのがそれだった。

 

「まぁ、本来卒業できない奴に卒業制作で賞を渡すのも変な話だよな」

 

 長谷川氏は笑っていたが決して笑い事ではなかった。

 不甲斐ない事に単位数の計算を間違えて卒業見込みの単位が足りず、この春卒業予定だったのが留年が確定してしまったのである。春からの就職先、そして何より両親に頭を下げてこれから半年間、残りの単位を取るために地元から遠く離れてるこの大学の地まで通いで卒業を目指すことが決まっている。卒業できなかった生徒が学科賞を取るなんてタチの悪い笑い話だ。

 

「そもそも、僕が出したのエッセイだし、他のゼミ生も納得いってないんじゃ」

 

 僕の在籍する文芸学科は、各ゼミから卒業制作一つが推薦作品となり、教授たちがそれらに投票して優秀賞などを決定していく。今年の長谷川ゼミの推薦作が、僕がゼミの片手間に作っていた仏像制作のエッセイだった。

 本来僕も小説家志望で入った大学だったし、卒業制作は作品を一本書き切るつもりだったのだが、所属したゼミの雑誌作りが忙しく、妥協した末に雑誌記事のために彫っていた仏像のエッセイを書いたのだ。

 

「確かに消去法的に選んだ部分も少なからずあるにはあるよ。他の生徒の出した作品は私が推薦したとは言い難いのが多かった。まぁ毎年のことではあるんだけどね。うちは雑誌作りのゼミだからどうしても卒制よりそっち優先になっちゃうし」

 

「消去法……」

 

 自分で謙遜しておいて、消去法という言葉に少しだけ傷ついてるのも情けない。

 思えば大学生活の四年間は自信を砕かれ続ける日々だった。周りより少し文章が上手だからと天狗になって進学した僕を待っていたのは文才溢れる同級生たちだった。井の中の蛙とはまさに自分の事。自分は特別だと思っていた自尊心と折り合いをつけるような四年間だった。自分は何者にもなれないという恐怖と、それも仕方ないとする妥協のせめぎ合い。卒業を目の前にして妥協がせめぎ勝ち、そこに留年まで重なって自己肯定感の低さは現在人生過去一番である。

 

「でもそんなに卑下することはないよ」

 

 長谷川氏は続ける。

 

「いつもキミは自分の書く作品に対して自己肯定感が低いよね。でもキミの文章は面白いよ。消去法なんて言い方は気分悪くしたかもしれないけど、確かにキミのエッセイはキミらしさが出てて面白かった。そうじゃなきゃ私の名前で推薦だって出さなかったさ」

 

 いつもゼミで怒声を上げる教授の言葉に目をぱちくりとさせる。こんな卒業間近にそんなに直球に褒められるとは思わなかった。なんか裏を感じてしまうのは僕がこの四年間でボコボコにされ過ぎたせいだろうか。

 

「ありがとうございます。そう言ってもらえると純粋に嬉しいです」

 

「お礼言われることじゃないよ。僕以外にもキミの作品を気に入って票を入れてくれた教授も私。卒業後は一般企業だっけ」

 

「そうです。そもそも卒業できてないんで、めちゃくちゃな生活が待ってますけど」

 

「筆、折らないようにね。書き続けなさい。キミは書く人間だ。そうして誰かに気持ちを伝えられる人間だ。この賞は、私からのそういう忠告でもあると思って。また、私の目に届くようなものを作ってね」

 

 長谷川氏の目が本当には笑ってないのを見て、少し怖くなるとともに嬉しく思った。それだけの感情を自分の文章にぶつけてもらえるのは嬉しい。「善処します」と言って、僕は学長室を後にした。

 

 

 

 

 それがもう、十年近く前の話になる。

 すっかり文章を書くことが自分の生活から抜け落ちて久しい。

「書き続けない」という言葉を、ネットニュースに流れてきた恩師の訃報で思い出した。薄情なものである。

 あの日のあの少しおっかない目が、僕をもう一度奮い立たせようとしている。墓前に届くか、自信なんてないけど、まず一歩、書き出すところから始め直す。

 

 

おわり

ディズニーがハロウィンでどよめいた訳

本日からディズニーハロウィンが始まりましたね。

そんでめちゃくちゃ騒がれてる「ヴィランズの手下」復活について。これがもう本当にえらいことになってるんだけど、じゃぁ何がそんなに騒がれてるのかを、ディズニーに詳しくないみなさんに簡単に説明させていただきます。

 

 

・そもそもヴィランズの手下とは?

2015年から2017年までの3年間、ディズニーシーのハロウィンイベントに登場したショーオリジナルのキャラクター群。

ヴィランズを「マスター」と慕う、まさしく手下であり、それぞれ対応するヴィランに関連する物などが擬人化したキャラクターです。

例えば白雪姫のヴィランズのイービルクイーンなら毒林檎モチーフの「アップルポイズン」といった具合。

マスターと手下、手下同士などの関係性や独特なビジュアル、設定などがオタクの心に馬鹿ほど突き刺さり治安が悪化するほどの人気を博しました。そりゃもうすごいことだったんですよ。手下の同担拒否やら手下に認知してもらいたいオタクたちの争いで。

そんな手下たちでしたが、ディズニーのショーやパレードは長くて3年くらいで終わってしまうので先にも話した通り2017年に幕を閉じました。あまり僕も詳しく知らなくてDヲタの嫁から聞いたところなんですが、彼らは最後に「今度はまた別の場所でお会いしましょう」と言って幕を引いたそうです。嫁曰く、「別の場所ってヴィランの世界とかだと思った」との事。

 

 

・からの再復活

てなわけで終わった手下たち。

ディズニーって過去のイベントのキャラを再登場させるってまぁないんですよ。だから正直オタクのみんなはもう思い出の中の手下をたまに幻のように思い出すだけだった訳です。

 

そんな中、今年のハロウィンは数年ぶりのハロウィンパレードの復活、それも昼のショーとは別に夜にヴィランズのショーが新しく行うという事で盛り上がってはいました。でもどちらかというと昼の「スプーキーboo(以下スプブ)」パレードの方が期待度が高かったです。こちらのパレードもここ数年やってて、可愛いながらも実は黒いという事で毎年考察も大盛り上がりのパレードなのです。今日の昼もスプブの話題で大盛り上がり。夕方というか夜のヴィランズはまぁ見とくか程度の話題性しかありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

が、ヴィランズが始まると俄かにタイムラインが騒ぎ出したわけですよ。その中には「手下」のワードが。

オタクたち阿鼻叫喚。現地で見たオタクたちの悲鳴も動画で拡散される始末。

まさかの手下がパレードで復活。しかもシーではなくランドで。告知もされていなかったのでもう本当にサプライズ。現地のオタクたちは心臓の一つや二つは止まったんじゃないですか?

まさか本当に別の場所で再会するとは、というのがオタクたちの言。めっちゃ近所でしたが。

 

簡単に今回のあらましでした。

ついでに僕は「ヴェール」推しでした。

アデュー!

私が愛した欠陥機(ガンダムの話)

以前のオタクの話で語ったが僕はガンダムが好きだ。

最初にボンボンで触れたガンダムXがきっかけであるがアニメを初めて通しで観たのはSEEDだった。

昔から知ってる人にとっては種なんて初代の改悪焼き直しだと思われるんだろうけど、僕は最初に観た作品だったからいまでも割と好きだ。

種運は擁護できない、さすがに。

 

 

ガンダムシリーズはお話も好きだけど、僕は男の子なのでMSがすごい好きだ。やっぱりロボットって憧れだよ。

僕が特に好きなのは欠陥機だ。でも困ったことにガンダムには欠陥機だらけなのだ。選べない。

でも僕には特に好きなポンコツ達がいる。

今回は本当に好きなものを語るだけの記事である。

僕の大好きな欠陥機達をとにかく気分の乗るままに書き殴ろうと思う。

 

 

 

・ファントム(クロスボーンガンダムゴースト)

一番の推し。

ファントム「ガンダム」って書くとファントムガンダム警察が飛んできて「ファントムは正式にはガンダムじゃない」とうるさいファントムである。フォントが心の中で呼んでたんだからいいじゃろがい。

 

木星帝国のタカ派のガス抜きのために製造認可の降りた、一機で千の敵と対峙しても戦況を変えうる性能を持たせることをコンセプトにした「サウザンドカスタム(通称サーカス)」の一機。

 

この時点で発想が狂ってる。

(でもこの発想自体は種運でもあったよね)

 

ファントムは単独で木星から地球への惑星間航行を目的とした機体である。単騎で地球侵略しようっていう荒唐無稽なMSである。

 

頭がおかしい。たった一機のMSにどこまでのスペックを期待しているのだ。もはや木星人は地球人とは全く別の生き物になってしまったのかもしれない。

 

かつて鹵獲したレコードブレイカーミノフスキードライブの技術をそのまま転用し、そこに変形機構を当てる事で惑星間の航行を可能にしようという計画だった。

しかしここで一つ誤算が出た。

木製の技術力じゃミノフスキードライブ全然分からん。

機体外に出る余剰エネルギーの「光の翼」が全く安定しない。そこで木製の技術者は考えた。

 

「そうだ、Iフィールドで外から無理矢理押し込めよう」

 

バカなのかな?

しかも盗んだミノフスキードライブのOSとIフィールドのOSが違うせいでうまく折り合いがつかず動かすことすらできない欠陥機になってしまった。

さらに動けたとしてもミノフスキードライブ(通称ファントムライト。厨二心くすぐり過ぎ罪で逮捕です)を発動させると異常な熱暴走を起こし中のパイロットを蒸し殺すという、これでもかという欠陥のオンパレード。欠陥が大渋滞。

 

 

また、惑星間航行を行うため変形機構を擁するが、後のパイロットであるフォントから「壊れていってる」と称されるほど異様な変形をしており、変形の為の機構はオミットされている。いざ変形する必要が発生した場合は腰部の留め具をぶっ壊さなければいけない。切腹である。

 

 

こんな欠陥だらけの機体であるが、本編ではとにかくカッコいい姿を見せまくってくれた。

ギロチンを見たフォントに呼応するかの様にフェイスオープンしてミノフスキードライブを炎の様に揺らめかせる姿は劇中でも語られる通り「怒っている」ように見えた。僕は心を持たないはずの機械がまるで人間に呼応してるように見える姿が大好きなのでここでアホほど泣いたし、一発で心奪われた。

前述の変形も、その初お披露目の核撃墜の戦いはそのピーキーさで我々オタクの心をしっかりと鷲掴みした。ここのフォントが誰の命も尊いと感じ決意するシーンなんかは本当に名場面。ファントムも良いけど、パイロットのフォントも良いキャラなので是非クロスボーンゴースト、読んでね。

 

 

 

 

 

 

 

ハイペリオンガンダム(ガンダムSEED ASTRAY X)

ビックリ機体なら俺たちに任せてくれ!と言わんばかりのASTRAYシリーズからハイペリオンガンダム

ファントム現れるまでの最推し機体だったが、いまでもほぼ僅差くらい好き。

 

SEED本編にてユーラシア連邦擁する要塞アルテミスは全方位光波防御帯、通称「アルテミスの傘」を発生させ、あらゆる攻撃を防ぐ無敵要塞として君臨していた。ただ、常時エネルギーシールドを張ってるとエネルギーをバカほど使うので、基本有事のみ張るため、ブリッツにミラコロで近づかれて見事に撃沈したのだが。

しかしユーラシア連邦、おそらく根がほぼ木星人と一緒でアホなので、この技術をMSに付けたら最強じゃない?となってアルテミスの傘を搭載したMS「ハイペリオンガンダム」が誕生した。いつの時代、どこの世界でもアホが技術を持つとろくな機体が作られないものだなぁ。

 

 

機体は完成したのだが、いかんせんエネルギー問題がつきまとうために徹底して武装面では省エネに努めている。携行武器はビームサーベルではなくビームナイフ「ロムテクニカRBWタイプ7001」、マガジンで外部エネルギーに頼るビームサブマシンガン「ザスタバ・スティグマト」(何故C.E.世界の皆さんは厨二ネームを付けたがるのか)という具合である。

これに全身の発生器から出す光波防御帯シールド「アルミューレ・リュミエール」(言いづらい)と背中のバインダーのウィングから出すビームキャノン「ファルファントリー」が主な武装である。

こちらのアルミューレ・リュミエールは連続稼働の限界時間は5分と、これだけエネルギーを節約してもこの短時間が限界なのである。好きだ、このアホな欠陥…。

しかしこの欠陥がとある理由で克服するのである。そう、無限の核エネルギーを手に入れたのである。ほぼ無尽蔵のエネルギーのおかげで無敵のバリアー、アルミューレ・リュミエールは本当に無敵と化したのだ。カナードも嬉しくなって「スーパーハイペリオンだ!」と新しく機体に名付けるのである。

ダサくない!?

なんでスーパーハイペリオン!?この世界、たかがマシンガンに「ザスタバ・スティグマト」、頭部バルカンに「イーゲルシュテルン」なんて名前を付ける世界なのに、「スーパー」!?もっと、なんかこう…あっただろ!?

パイロットのカナードがテンション上がり過ぎたせいだね。仕方ないね。カナードも境遇大概だしね。

でも残念ながら最後にはハイペリオンは大破。生き残ったカナードは宿敵だが最後に分かり合えたプレアの意思を継ぎ、彼の乗機であるドレッドノートを引き継ぎ傭兵として生きていくこととなる。このカナードの新たな機体「ドレッドノートη(イータ)」(この名前センスが何故スーパーハイペリオンには出てこなかったの…?)なんかもめちゃくちゃカッコいいし、プレアのドレッドノートカナードが乗るストーリー性も相まって大好きなんだけど、やはり愛すべきは欠陥機「ハイペリオンガンダム」なんだよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

ガンダムアストレイ レッドフレーム(ガンダムSEED ASTRAYシリーズ)

最近は外部出演や商品化も多くてすっかり人気者のアストレイ。プロトシリーズと呼ばれるアストレイ3機の中では唯一外観が初期から変わっていないレッドフレームが僕は一番好き。(グリーンフレームは当時完成されてなかったのでカウントしないものとする)セカンドや天などの各種発展後の姿も好きなんだけど、やはり最初の姿が既に完成されてるのよ。プロポーション良過ぎない?

え?アストレイに欠陥なんてあるの?って?

実はあるのだ。主に装甲面に。

 

 

アストレイは中立を謳いながら裏でいっつもMSを作ってる事で有名なあのオーブが、最初に秘密裏に作ったMSである。

条約ガン無視で連合から頼まれて秘密裏に作っていたGATシリーズ(ストライクガンダムなどの5機)から技術をパク…参考にして作られたのがアストレイであり、ガンダムと同等かそれ以上の運動性能を誇る。ビームライフルビームサーベルなんかももちろん標準装備。

こんなんほぼ連合最新鋭のガンダムじゃん、と思うが実は一点だけ、盗めなかった技術がある。フェイズシフト装甲である。

GATシリーズの大きな特徴であり強みであるPS装甲は実弾をほぼ無効化することができ、この時代にザフトの主力であったジンの武装をほぼ完璧にシャットアウトしてしまえるのである。

この技術が盗めなかったのは痛い。じゃぁオーブの技術者は何を考えたかというと、

 

当たらなければどうということはない

 

装甲をむしろ軽くすることで極限まで運動性能を向上。とにかく当たらないという事に比重を置いた機体が生まれたのである。結果的にフレームが剥き出しな部分が存在する。そう、アストレイの特徴的な各フレーム色のあの部分、剥き出しのフレーム部分なのである。

そこまでして、装甲の脆弱さを逆手に取った機体設計が生まれた。これには仮面の赤い人もニッコリ。どんな怖い攻撃も当たらなきゃ意味がないのである。バカなの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は以上の3機の紹介。また第二弾もやりたい。