ウィッシュを観て不満に思ってる人たちの気持ちが分かったけど僕なりの見解

はい、というわけで観てきましたよ。

ディズニーの100周年を記念する作品「ウィッシュ」を。

僕個人としては同時上映される短編、「ワンス・アポン・ア・スタジオ」を楽しみにしていて、それのついでくらいの気持ちではあった。しかしこちらのワンスはDisney+で先行配信されてしまい「いよいよウィッシュを劇場に観に行く意味が…」と思ってたがウォルトディズニージャパンは「ワンスの吹き替え版を観れるのは劇場だけ!」という姑息な手を使ってきた。おかげでウィッシュを劇場に観に行く理由ができたのだが。

ワンスについてはまた後日書きたい。

 

 

 

 

さてさて、この「ウィッシュ」。

ディズニーがこの100年で何度も繰り広げてきた「願いの物語」を真正面から描く、という触れ込みだったのだが、この願いについてはもうディズニーは書き切ってしまっている、というか手を尽くしてしまった節がある。

白雪姫やシンデレラなど、王子様に迎えにきてもらったり魔法使いの魔法で願いを叶える物語が主だったディズニークラシックと呼ばれる初期作品から少しずつ「願いは自分で叶える」という物語に変遷していった。

その到達点が最後の手描きアニメとなった「プリンセスと魔法のキス」である。父の夢だったレストランを開く夢を自分の力で叶えようとする主人公・ティアナは力強い新時代のプリンセス像として海外のディズニーパークでは根強い人気がある。(初の黒人プリンセスであるという点もあるが)

そして翌年公開された「塔の上のラプンツェル」では「願いを叶えてしまった後はどうすればいい?」という言葉が出てくる。ラプンツェルのその言葉にユージーンは「それが楽しいんじゃないか。また新たしい夢を探すんだ」と返した。

それからまた6年後に公開された「ズートピア」では警察になる夢を叶えた主人公・ジュディが夢見た世界とのギャップに苦しむ姿が描かれる。ズートピアに関しては願いを叶えるプロセス自体はダイジェストで終わらせ、そこは重要ではないことを示した。

このようにもう願いを叶える、叶えた、叶えた後まで描かれたディズニーで願いに関して新しく描く事はほとんどない。

じゃぁ、今回の「ウィッシュ」で描かれたのは何かというと「過去100年の願いの物語のオマージュであり再生産」である。

ここが、人によっては今作を駄作と評価してしまう理由に思う。

今作は100周年記念作品ということもあり、イースターエッグが数多く隠されている。だけでなく、オマージュがそこかしこに散りばめられている。というかもはや継ぎ接ぎ作品に見えてしまうくらい。

ただもうこれはディズニーからの「100年という歴史の重み」でぶん殴って黙らせにきているというだけなのである。それを不快に思うか、これぞディズニー!と喜ぶかで評価が分かれてくる。個人的には「100年鈍器を分かっててぶん回してるディズニーたまらねぇ…」だったので概ね肯定派です。

個人的にストーリー展開が薄くてあともう1,2回くらい展開が変わらないか?と物足りなさがあったけど「オマージュと音楽入れたらもう話が転ばなかった!」という開き直りっぷりも「まぁクラシック時代ってこんなもんだしな」と勝手に納得した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今作で人気が出ていると共に扱いに不満が漏れているのがヴィラン・マグニフィコ王である。

彼自身は元々多くの人の願いを大事にしたいと思う努力家の魔法使いであり、行き過ぎてしまい暴走、最後には酷い王様として断罪される。

この最後に対して「会心エンドでもいいんじゃないか」「今までは良い王だったのに急にみんな手のひら返し過ぎ」などの意見が目立つが「ディズニークラシックのヴィランなんてこんなもんだったじゃん。これはディズニーから『100年間で散々観てきただろう!?』と書かれた鈍器で殴られたようなもの」と納得した。もはやこの作品はそういった作品だということを念頭に入れなければ純粋には楽しめない。真剣に話を考察したり考える物語ではないのである。ディズニーというエンタメを分かりやすく作ったのが「ウィッシュ」であると言っても過言ではない。

そういう意味では「ウィッシュ」は100周年にふさわしい願いの物語だったと言える。なので非難の声も分かるには分かるが、僕と嫁は大変満足している。

何よりエンドロールで気持ちよく終われたので文句なし。

ディズニー好きじゃない人には全くおすすめしないが、ディズニーが"純粋に"好きという人にはおすすめ。うがった見方とか考察しなきゃ気が済まないタイプは絶対観に行くな。