【創作】恩師の言葉

「これ、僕がもらっていいんですかね…?」

 

 文芸学科棟の学長室に呼び出され、ゼミの担当教員でもある長谷川氏に自分が出した卒業制作が学科賞を貰えると聞いて僕の口から出たのがそれだった。

 

「まぁ、本来卒業できない奴に卒業制作で賞を渡すのも変な話だよな」

 

 長谷川氏は笑っていたが決して笑い事ではなかった。

 不甲斐ない事に単位数の計算を間違えて卒業見込みの単位が足りず、この春卒業予定だったのが留年が確定してしまったのである。春からの就職先、そして何より両親に頭を下げてこれから半年間、残りの単位を取るために地元から遠く離れてるこの大学の地まで通いで卒業を目指すことが決まっている。卒業できなかった生徒が学科賞を取るなんてタチの悪い笑い話だ。

 

「そもそも、僕が出したのエッセイだし、他のゼミ生も納得いってないんじゃ」

 

 僕の在籍する文芸学科は、各ゼミから卒業制作一つが推薦作品となり、教授たちがそれらに投票して優秀賞などを決定していく。今年の長谷川ゼミの推薦作が、僕がゼミの片手間に作っていた仏像制作のエッセイだった。

 本来僕も小説家志望で入った大学だったし、卒業制作は作品を一本書き切るつもりだったのだが、所属したゼミの雑誌作りが忙しく、妥協した末に雑誌記事のために彫っていた仏像のエッセイを書いたのだ。

 

「確かに消去法的に選んだ部分も少なからずあるにはあるよ。他の生徒の出した作品は私が推薦したとは言い難いのが多かった。まぁ毎年のことではあるんだけどね。うちは雑誌作りのゼミだからどうしても卒制よりそっち優先になっちゃうし」

 

「消去法……」

 

 自分で謙遜しておいて、消去法という言葉に少しだけ傷ついてるのも情けない。

 思えば大学生活の四年間は自信を砕かれ続ける日々だった。周りより少し文章が上手だからと天狗になって進学した僕を待っていたのは文才溢れる同級生たちだった。井の中の蛙とはまさに自分の事。自分は特別だと思っていた自尊心と折り合いをつけるような四年間だった。自分は何者にもなれないという恐怖と、それも仕方ないとする妥協のせめぎ合い。卒業を目の前にして妥協がせめぎ勝ち、そこに留年まで重なって自己肯定感の低さは現在人生過去一番である。

 

「でもそんなに卑下することはないよ」

 

 長谷川氏は続ける。

 

「いつもキミは自分の書く作品に対して自己肯定感が低いよね。でもキミの文章は面白いよ。消去法なんて言い方は気分悪くしたかもしれないけど、確かにキミのエッセイはキミらしさが出てて面白かった。そうじゃなきゃ私の名前で推薦だって出さなかったさ」

 

 いつもゼミで怒声を上げる教授の言葉に目をぱちくりとさせる。こんな卒業間近にそんなに直球に褒められるとは思わなかった。なんか裏を感じてしまうのは僕がこの四年間でボコボコにされ過ぎたせいだろうか。

 

「ありがとうございます。そう言ってもらえると純粋に嬉しいです」

 

「お礼言われることじゃないよ。僕以外にもキミの作品を気に入って票を入れてくれた教授も私。卒業後は一般企業だっけ」

 

「そうです。そもそも卒業できてないんで、めちゃくちゃな生活が待ってますけど」

 

「筆、折らないようにね。書き続けなさい。キミは書く人間だ。そうして誰かに気持ちを伝えられる人間だ。この賞は、私からのそういう忠告でもあると思って。また、私の目に届くようなものを作ってね」

 

 長谷川氏の目が本当には笑ってないのを見て、少し怖くなるとともに嬉しく思った。それだけの感情を自分の文章にぶつけてもらえるのは嬉しい。「善処します」と言って、僕は学長室を後にした。

 

 

 

 

 それがもう、十年近く前の話になる。

 すっかり文章を書くことが自分の生活から抜け落ちて久しい。

「書き続けない」という言葉を、ネットニュースに流れてきた恩師の訃報で思い出した。薄情なものである。

 あの日のあの少しおっかない目が、僕をもう一度奮い立たせようとしている。墓前に届くか、自信なんてないけど、まず一歩、書き出すところから始め直す。

 

 

おわり