オタクだからと迫害された話

僕は小さい頃、コミックボンボンを愛読していた。

この始まりで一部の人は察すると思うんだけど、ようは英才教育を受けてなるべくしてなったオタクだということ。

ガンダムが好きだし、ロボットが好きだし、漫画アニメも大好きな中学生へと育った。

 

僕は田舎で育ち、小学校のメンツがそのまま上がる中学に漏れなく進学した。

本当に狭い世界だった。

合わない人間はすぐに爪弾きにあい、そしてそのまま戻ることができない世界。中学2年生に進級する頃には保健室登校の生徒が3人いたし、不登校の生徒もそれと同じくらいいた。一学年80人そこらの小さな学校では異常な数字だったと思う。

21世紀にもなって短ランにボンタンなんて奴もいた。他校の生徒と殴り合いの喧嘩をしてきたことをさも武勇伝のように話す彼らを心底見下していた。しかし狭い世界では見下している彼らこそがカーストの上位を占めていた。

そんな中でそれでも僕はうまくやっていた、と思う。元来ひょうきんものだったのでうまい具合にいじられて笑いを取るようなポジションにいた。こう書くとなんだか可哀想にも聞こえなくないが、あの世界のカーストで言えば中の上くらいにはいた。文化祭で一人コントをやったことからも勇気のある本当に面白いことをしたい人に映っていたはずだ。

 

 

 

しかし、そんな生活が少しだけ変わってしまう出来事があった。

中学3年生の年に、電車男が流行ったのだ。僕自身はオタクの歴史というものに詳しくないので確かなことは言えないが、電車男をきっかけに世間にオタクという存在が認知されたのではないだろうか。

それまで教室でアニメやガンダムの話をしてた僕らに名前が付いた。「オタク」だ。

それ以前はなんともなかったのに、教室でそういった話をしていると「オタクくせぇ」と笑われるようになった。なんとなく僕に対する口調が強くなった。「萌え〜って言わないの?」とニヤニヤしながら聞かれることもあった。

居心地が悪くなった教室にいる時間は減って、廊下や校庭で友達と話す時間が増えた。別に周りはなんとも思ってなかったかもしれないけど、僕には辛い時間だった。真綿で首を絞められるような、じわじわと精神を削られる日々。

その後、オタクいじりが続いたまま中学校を卒業した。卒業式後の慰労会では相変わらずひょうきんものを演じてた僕は出し物をするクラスの代表に選ばれた。口では「やるやる〜」なんて乗り気だったけど、こんな奴らのためにやりたいことなんてなかった。

 

 

高校に進学するのもなんだか気が重かった。またオタクとして馬鹿にされるのかなぁと思うとしんどかった。

でも僕の考えは良い意味で裏切られた。

高校入学してすぐに文化祭がある。まだ特別仲良くもないクラスで出店をするのだから良いものができるはずがなく、僕のクラスはかなりしょぼいヨーヨー釣りになった。よそよそしい態度が抜けきらないクラスメイトたちはぎこちない感じで準備をしていた。

どんな会話の流れか忘れてしまったけど、不意に一人が「うそだ!」と叫んだ。僕は吹き出してしまって「レナじゃん」と言った。言ってから、しまったと思った。普段幼馴染みと話す感じで言ってしまったが、こういう風に知ってる人しか分からない会話をして馬鹿にされることが中学の頃にはままあった。オタクであることは高校のクラスメイトはまだ知らない。言うつもりもなかった。またあんな時間を過ごすくらいなら自分を偽ろうと思っていたからだ。

「お前、ひぐらし知ってるの?」

帰ってきたクラスメイトの反応は意外なものだった。

「知ってる。俺ひぐらし好きだよ」

「マジか!俺も俺も!」

一人が言い出すと周りのみんなも話に加わってきた。話すとみんな大なり小なり漫画もアニメも大好きで、あの狭い世界ではオタクと呼ばれてしまうような人たちだった。

でもそこで分かった。あの狭い世界でオタクだと迫害されるような人でも、世間では容認されるのだ。

 

さらに驚いたのが、所属してたバスケ部の同級生もガンダムが好きな奴や毎週プリキュアを観てる奴がいた事だ。運動をしている=オタク的コンテンツは嫌い、という図式が自分の中で勝手に出来上がっていたのだが、そんなことはなかったのだ。僕は、自分の過ごしていた世界がどれだけ狭かったか思い知った。

漫画がきっかけで高校時代に彼女もできた。なんかそれこそ漫画みたいな話だったからそれはまた今度書きたい。

 

もちろん、僕のような人種を気持ち悪がる人もいる。クラスメイトの女子がブログで「うちのクラスの男子、オタクばっかでキモい」と書いてたことを知っている。それをわざわざ知らせてきたのは別の高校に進学した、真っ先に僕を馬鹿にしてきた中学のクラスメイトだった。まだあの狭い世界で生きているのだな、と思うとあれだけ怖かった彼がずいぶん小さく見える。

 

 

学生時代は自分の生きている世界がこの世の全てだと勘違いしていた。でもその外にも世界は広がっていたし、高校、大学と世界が広がるたびに新しいタイプの友人も増えていった。

かけがえのない出会いはきっと辛い記憶のその先にもあるはずだから、いま自分で自分を殺そうとしてる人がもしいたら、思いとどまって欲しいと思う。

「スパイダーマン/偽りの赤」真実の正義にスパイダーマンを見た

そうすべきだから、それが正しいことだからという理由で疑問を持つことなく他人を助ける人こそが本当のスーパーヒーローだ。

 

スパイダーバースでもエンドロールに引用されたスタン・リーの言葉である。

それであれば「スパイダーマン/偽りの赤」の主人公・ユウは紛れもなくヒーローなのだろう。

 

 

 

現在日本で新たなスパイダーマンの物語が誕生している。

マガポケで連載中の「スパイダーマン/偽りの赤」だ。

アース-616とは全く別の次元のお話で、普通の学生の主人公・ユウが偶然落ちていたスパイダースーツを拾うことから物語は始まる。ユウは最初それが本物のスパイダースーツとは知らず、よくできたコスプレだと思うが、一緒に付いていたウェブシューターの存在で、これは本物のスパイダーマンの物だと知る。スパイダーマン(ピーター)がいなくなった街で彼はスパイダーマンとして街を救う。話の流れとしてはこんな感じ。

僕にとってスパイダーマンとは永遠にピーター・パーカーであり、誰かが取って代わるのはなんか違うなぁと思って連載当初ちょっと難色を示していた。

しかししかし、これが実に良く出来たお話だった! 思わず興奮したので今回こうして記事にしてみようと思ったのだ!

 

 

主人公ユウの魅力、ヒーローの資質

ユウは本当にどこにでもいる学生だ。

有名進学校に進んだはいいが勉強についていくことができず、学校を休みがちになってしまい、そんな鬱屈した日々の清涼剤としてボルダリングに熱中する、そんなどこにでもいる青年。

スタンはスパイダーマンの物語を「ヒーローであるはずの学生が読者である自身と同じように悩む等身大の物語」として生み出した。これは後に生まれた傑作、映画版スパイダーバースでも主なテーマとなった。誰もがマスクを被れる、誰もがほんの一つの勇気でヒーローになれるという物語は多くの人を魅了した。

ユウはそういう点ではピーターよりももっと身近な主人公だ。彼に与えられたのはピチピチのスーツとウェブシューターだけ。蜘蛛に噛まれてもいないし、特別な機能のあるスーパースーツを着たわけでもない。

物語の初め、一回だけ記念にとスーツを着ていると実際の火事現場と遭遇してしまう。周りの人に懇願されるがまま、彼は火事現場に突入する。家に残された子供を見つけることはできたが、火の手が回って出口はもうない。誰からも期待されない自分自身を思い出し、もう諦めようとしたその時、胸に抱く少年が呟いた。

スパイダーマン

彼は成り行きで何の力も無いのにスパイダーマンであることを望まれた。「大いなる力には大いなる責任が伴う」。彼に力はなかったかもしれない。それでも彼には責任が生まれていた。

ここのシーンで彼が奮い立つシーンは是非読んで欲しい!新たなスパイダーマンの誕生だと思わず拍手したくなる。

その後も彼は消えたピーターの代わりに何の力も持たずに街を救う。めちゃくちゃボロボロだし、みっともないけど、彼が救う必要なんてないはずなのに彼はマスクを被り続けた。

成り行きだったその勇気が本物の勇気になって、何でもない彼をヒーローにした。

 

 

 

ヒーローから青年、そして再びヒーローへ

ユウがスーツを拾ったってことは、ピーターはどうしてるの? これについては物語の序盤ですぐに分かる。

ピーターは地球外生命体「シンビオート」に支配されているのだ。つまりヴェノムになっている。なんとか完全に乗っ取られることは避けているが徐々に自我を失っている状態。

最新話でついにヴェノムにほとんどの自我を乗っ取られてしまい、街で暴れまわってしまうピーター。

謎の怪物と対峙したユウは、その怪物が呟いたある言葉でそれが本来のスパイダーマンであることに気付く。

自分が何者か分からないと話す化け物にユウは自分の借りていたマスクを返してこう言う。

スパイダーマン

 あなたは僕のヒーローです」

そのマスクを通して勇気を貰った何者でもなかったユウが、勇気を振り絞りカメラの前でマスクを外し、マスクを返すこのシーンはとても涙無しじゃ読めなかった。

少年漫画らしい熱さをアメコミにしっかり組み込んでいて、この新しいスパイダーマンの物語が日本で生まれた意味が分かるね。

このシーンで、本当にユウがスパイダーマンになってくれてよかったって思った。

 

 

 

 

 

偽りの赤

偽りの赤というタイトルだが、ユウ自身の勇気や正義感は嘘じゃない。

誰もが持ち合わせるほんの少しの勇気を振り絞ったのがユウなのである。彼を通して読者は再びスタンの言葉を思い出すだろう。今の若者のための等身大の物語を通して。

マスクの似合う日は必ず来るのだと、ユウを見て改めて知ることができた。

MCU離脱によるスパイダーマンの行く末を憂いていました

今回の記事は途中までスパイダーマンMCU離脱が決まっている中で書いた記事であり、途中で復帰が決まった中で書きました。そういう体で呼んでください。

 

 

ソニーとディズニー・マーベルの交渉の決裂により、スパイダーマンMCUから離脱することが決定した。

もともとソニーが権利を持っている関係でMCU入り困難かと思われたスパイダーマンシビルウォーでサプライズ的に参戦して3年。MCUのケビン・ファイギが語るように「まさに奇跡のような時間だった」。

でもソニーよ。本当にスパイダーマンを完全にMCUから離脱させていいのか!? 今後もトム・ホランドスパイダーマンを継続していくようだが、これまで積み重ねた3年間、決して短くないぞ!?

というわけで今回はMCUを離れるとスパイダーマンがどんなふうに困るのかをいままでのMCUのネタバレ込みで語ります

もちろん最新のファーフロまでがっつりネタバレするんでよろしくお願いします。

 

 

 

アイアンマンという“ベンおじさん”の存在

何を取ってもこれに尽きる。

MCUスパイディーにはベンおじさんのエピソードがほとんど登場しない。何度と繰り返されたリブートでベンおじさんとのオリジンにみんなが辟易としているという点もあるだろうが、MCUにおいてはその役割を担うヒーローの存在があったからだろう。それこそがアイアンマンことトニー・スタークだ。

おそらく原作シビルウォーでアイアンマン陣営にスパイダーマンがつき、アイアンスパイダースーツを譲り受けた設定を発展させたのだろう。(原作ではその後スパイダーマンはアイアンマンのやり方に共感できなくなり離反している)

MCU内では特に若いピーターはその若さゆえに無茶をしがちで、それを戒めるのは彼をヒーローの道へと誘ったトニーであった。シビルウォーから始まった関係はその後ホームカミングでより深まり、エンドゲーム、ファーフロムホームでアイアンマンのヒーローとしての意思を引き継ぐまでになった。

アイアンマンとの関係はトムホスパイディのほぼ全てであり、彼を語る上で欠かせない存在になっている。

特に最新作のファーフロではアイアンマンの意志を継ぐべきは誰か、というのが話の焦点であり、MCUを離脱するということは言ってしまえばホームカミングとファーフロムホームの両方の話がほぼ無かったことになるに等しい。だって二作品とも話の柱はピーターが"アイアンマン から継ぐ形で"ヒーローになる物語だから。

 

 

 

魅力的なヴィランの動機の欠如

トムホ版と言うべきかMCU版と言うべきか、とにかく今回のシリーズで個人的に一番魅力的に感じてるのはヴィランたちが個性豊かであること。

マイケル・キートン演じるバルチャーも本当に怖い大人のヴィランだったし、ジェイク・ギレンホールが演じたミステリオもキャラに深みや魅力を与えた。どちらもスパイディに立ちはだかる"大人の"壁だった。

 

ただ、このヴィラン2人はどちらもピーターとの因縁というよりトニーと因縁があってたまたま邪魔になったスパイディと戦うという展開だった。

つまり、MCUの話を無くしてしまうと彼らがスパイディに敵対する大きな理由が欠如してしまうのだ。バルチャーに関しては味方になって再登場するフラグも立ってたりするので彼の再登場が無くなってしまうのは痛い。

 

先にも伝えたが僕個人としてMCU版で一番魅力的だと思ってるのはこのヴィランたちなのだ。バルチャーのアレンジは完璧で、あの原作のダサい緑スーツでハゲた爺さんというビジュアルをこれでもかというほどスマートに改変した。

ミステリオもまんま原作の見た目で来たなぁと思わせてそれはブラフで、後半でビジュアルはミステリオを感じさせながら全く新しいアレンジを見せてくれたし、まさかミステリオがこんなに手強いヴィランになるだなんて思っていなかった。

このヴィランの現代版への改変は本当に素晴らしいので、彼らとの話がなかったことになるならこんなに惜しいことないなぁって思うのである。

 

 

 

 

 

 

なんて、ここまで書いてるあたりでトム・ホランドスパイダーマンMCU復帰が決まったのである。

とても喜ばしいことだし、もう本当に飛び跳ねた。

でも結果的にこの記事がほぼ死んだわけで、公開するか悩んだけど、せっかく書いたし公開しちゃえ、と思ったのが今日だったので全くタイムリーじゃなくなっちゃった。

今後はもっとフットワーク軽く書いていきます。

スパイダーバースの次に触れてほしい作品

みなさん、スパイダーバースは見たかな?(挨拶)

バースを観て以来完全にスパイディ熱にうなされているわけだが、いまだ熱が冷める様子もなくずっと「P.S.RED I」聴いてる。

さて前回の記事でこのスパイダーバースを「スパイダーマンの入門作としても良い」なんて書いたわけですが。この作品をきっかけにスパイダーマンやアメコミに興味を持った方はたくさんいると思うんだけど、じゃぁ次に見るべき作品って何?って話である。

僕も入門作って導いたくせにその後を教えないのは不親切が過ぎたかなって思ったので、ここに僕の独断で次はこちらをどうぞ!っていうオススメを書き連ねていこうと思う。

 

先に断っておくけどスパイダーマンの原作アメコミを一から読め」なんていう、崖から突き落として登ってきたやつだけを仲間として認めるみたいな百獣の王的思考な勧め方はしないので、アメコミファンにとってはむしろそれは違うなんて意見もあるかもしれないが、スパイダーバースを観て面白いと思った人をあえて苦境に追い立てる必要はないと思うし、そうやって仲間をふるいにかけていくようなコンテンツでは先が無いと思うので、承知の上でお願いします。

だいたい僕自身が原作コミック全てに目を通してるわけではないし。

ただ、「この作品を見た方がもっとアメコミ、スパイダーマンを好きになってくれるよ!」という意見は是非欲しいのでお待ちしてます。

 

 

 

スパイダーマンをもっと知りたいよ、という方に

 

スパイダーマン(映画)(サム・ライミ版)

 

なんというか、この作品をいまさらオススメするのも野暮ってものなんだけど、どう考えてもバース見終わって真っ先に観てもらいたいのってこれを置いて他にないと思う。

3まで続いた実写シリーズで、1は2002年公開だったのでもう17年も前の作品である。僕もこれを観た当時は小学生だった。その17年前から今日までの間にすったもんだがあっていろんな監督がスパイダーマンを描いてきたけど、やっぱこのサム・ライミ版が一番オーソドックスに楽しめる作品だと思う。何よりスパイダーバースにはサム・ライミ版のパロディシーンも多い。

もちろん原作ファンからは原作と違う点を指摘される事も多々あって、むしろ後に公開されたアメイジングの方がスパイダーマンとしては初心者にオススメすべきじゃないかなんて意見もある。(ウェブシューターの存在や戦闘中の軽口なんか)

でもやっぱスパイダーマンの根幹にある「大いなる力には大いなる責任が伴う」という教訓を一番濃く描いてると思うし、ベンおじさんとのオリジンなんかもやっぱ最初の映画ってこともあって丁寧に描いてるから僕はこれをまず最初に観てもらいたいと思う。(後の実写作品ほどベンおじさんのエピソードは軽めに終わりがちで、現行のMCUシリーズに至っては現時点でベンおじさんの話は一つも出ていない。代わりにMCUピーターを導く役目はトニースタークがやってるので、それはそれで面白い)

かくいう僕もここからスパイダーマンに入ったクチなので、やっぱ我が家のような安心感があるし、スパイディのヴィランと言えばグリーンゴブリンだし、ウェブシューターってむしろ何?といった感じだった。

ウェブシューターを使って糸を出すというのが最もポピュラーな設定の中で、蜘蛛に噛まれた突然変異で体から糸が出るようになったというのは原作との相違と言われる点だが、これは男性の射精、精通のメタファーであると言われている通り、サム・ライミ版では一人の男の成長物語としてしっかり作られていて、一つの映画として見ても面白い名作である。

3部作の中では2が一番評価されてるけど、僕個人としては3が一番好き。主に最終決戦の部分が理由だけど。

 

 

 

 

・スパイダーグウェン(アメコミ)

 

もともと原作スパイダーバースが初出だったスパイダーグウェンは、そのビジュアルと往年のオタクたちをも惹きつける設定を引っさげて登場、瞬く間に人気を博し、ついには単独でのシリーズを持つまでに至った。

スパイダーバースという作品を一番象徴するキャラだったと個人的には思う。まさしくifの具現。

映画スパイダーバースでもクールなお姉さんキャラで人気が出ていたし、ファンも増えたと思うので翻訳書籍も重版されないかな?

映画版も設定や経緯自体はこの原作アメコミを下敷きにしていると思われるので、是非バースを観た後に読んでほしい作品。

ただ、原作のスパイダーグウェンは映画の余裕のあるお姉さんという感じではなく、めちゃくちゃ悩めるティーンエイジャーって感じなので、映画のグウェンのまんまを求めると少し違うように思うかも。

でも単純にお話としても面白いし、リザードがピーターだったり、デアデビルヴィランになってたりとifの物語としても楽しく読めるのでオススメ。

 

 

 

 

スパイダーマン:ホームカミング(映画)

 

バースの後にこれ観た方がいいかはともかく、現行の実写スパイダーマンシリーズなのでピックアップ。

主演のトム・ホランドは可愛い顔立ちで女性人気も高いし、パルクールなんかも達者なのでアクションもそつなくこなす新世代スパイダーマンなのだ! 個人的にもすごいすんなり受け入れられたし、彼のスパイダーマンって軽口を叩きながらもなんとなく心配させられる子供感もあって、クロスオーバーの多いMCUでは末っ子ポジションとして良いキャラの立ち方してると思う。

お話としてはMCUありきなのでスパイダーマンのスタートとしては正しくない気もするんだけど、進化したアクションとCG技術で是非度肝を抜かれてほしい。

あと、とあるシーンで水面に映るピーターの顔の半分がスパイダーマンになってるところがあるんだけど、原作ではおなじみの表現なのでこれを見たときには心底感動した。

今作のヴィランスパイダーマンではお馴染みのヴァルチャーなんだけど、マイケル・キートンが演じてるのでめちゃくちゃカッコいい。スーツまでカッコいいので、これ本当にあのハゲタカ?って思っちゃうレベル。しかもマイケルキートンと言えば過去にバットマン役をつとめ、その後どう考えてもそのバットマンを意識したと思われるバードマンという映画でも主役を演じた。今作のヴァルチャーもこの辺り意識しまくりのキャスティングだったので、洋画好きな人たちもニヤリとしたんじゃないだろうか。

次作のファーフロムホームではヴィランにミステリオが登場するみたい。ベンおじさんとのオリジンもやるんじゃないかって噂だし、そのベンおじさんを初代スパイダーマンのトビーマグワイヤが演じるなんて眉唾な噂もあるけど、とにかく楽しみ!

 

 

 

この辺り以外にも

アメイジングスパイダーマン(映画):エマストーンのグウェン完璧だよね。

キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー(映画):ホームカミングの前日譚みたいなもんだけどいきなりこれから観るのはオススメできないよね。でも面白いよ。

ヴェノム(映画):スパイディは一切登場しないけどスパイディの代表的なヴィランのヴェノムの単独主演映画だよ。

etc…がスパイダーマン気になったという方にはオススメ。

 

 

 

 

 

 

アメコミ(というかマーベル)が気になったよ、という方に

 

・マーベルズ(アメコミ)

 

アメコミってたくさんありすぎて分からない、って声はあると思う。どこから触れたらいいのか分からないってのもある。だって振り返れば歴史なんてすごい長いし、そんな昔の作品の最初から触れるなんて途方も無いし、何より翻訳コミック自体がそんな多くないのが現状なのだ。

そこで僕がマーベルの入門書としてオススメしたいのがこの「マーベルズ」。

お話としてはマーベル世界に住む一般人で記者の主人公が超人たちの登場によってどう世界が移り変わっていったかを記すという作品。

超人第一号というかマーベルの最初の作品でもあるヒューマントーチから話も始まり、ミュータントの迫害やミスターファンタスティックの結婚など、マーベル世界における大きな事件はだいたい網羅してくれてるので、こんな歴史をたどってきたんだなぁと一冊で分かるのはありがたい。

イラストを描いたのは写実的な絵で高く評価されているイラストレーターのアレックス・ロス。もはやアートと言える本誌はただ流し読みするだけでも面白い。

翻訳版の表紙はスパイダーマンなので、そういう意味でも今回の趣旨に合ってるよね。

 

 

 

 

・グウェンプール(アメコミ)

 

日本人向けアメコミ入門書と言っても過言ではない作品。

担当アーティストが日本人女性の二人組のグリヒル先生(分かりやすく言うとゆでたまご先生みたいな感じ)なので、絵がすごくキュートで良い意味でアメコミらしさの薄い絵柄なので読みやすい。あと、この作品を通して「アメコミって同じシリーズの作品でも描いてるアーティストがほぼ毎話変わるんだ…」っていう洗礼を受けるのにも最適←

もちろん最近の作品なのでバンバンゲストキャラが出るけど、翻訳アメコミにはしっかり解説書なんかも付いてるし、そのゲストキャラもしっかり活躍するのでむしろこれをきっかけに気になったヒーローの作品に続くのも。

アメコミには珍しくしっかり最終話まで描かれたし、これまた珍しく翻訳版も完結まで出してくれた貴重な作品である。これもグリヒル先生人気とデッドプール人気の賜物かな?

 

 

 

 

デッドプール(映画)

 

アメコミ映画の傑作。MCUではないんだけど、バースもMCUではないし無問題。

低予算ながらその破茶滅茶な活躍で世界的に大ヒット、一躍超有名ヒーローになったデッドプールR指定映画では異例のヒットを見せてマーベルの顔の一人にまでのし上がった。

自分がコミックのキャラだと理解して観客を意識するなどコメディリリーフな設定が馬鹿受け。日本のオタクもこういうの好きでしょ?

吹替もとっても出来がいいのでオススメ。

 

 

 

 

・アイアンマン(映画)

 

結構話題に上がるし、MCUも手を出してみたいという人にとりあえずこれ。MCUの記念すべき一作目でもあるのはもちろん、これ一つ取ってもめちゃくちゃ面白いアメコミ映画の名作。

ロバートダウニーjrのトニースタークがとにかく当たり役で、トニー見るために観てもいいってくらい。

アイアンマンのデザインは男の子心をくすぐられるよね。

 

 

 

他には

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(映画):MCU最高傑作。1はもちろん、vol2が完璧なので通しで観よう。

ホークアイ VS. デッドプール(アメコミ):普通に面白いアメコミ。一冊で完結だし、読みやすい薄さ。

ウォッチメン(映画・アメコミ):DCだけど、アメコミの転換期になった偉大な作品。いま読んでも面白い。映画もめちゃくちゃ出来が良い。ロールシャッハのビジュアルとキャラクターはそりゃ人を惹きつけるよ。

 

 

 

 

 

もちろんかなり僕の偏見が入っているんだけど、誰も作品として面白いので是非見て欲しい。

アメコミってすごい歴史が深い分、掘り進めれば掘り進めるほど新たな発見とかあって本当に楽しいジャンルだと思うんだよ。だからバースをきっかけにいろんな作品に触れて欲しいな。

ここまでたくさん紹介してきたけど何より、スパイダーバースをもう一度見るのがオススメかな←

スパイダーバースが名作だった

幼少期、普段単身赴任をしていて家にいない父が帰ってきた週末に、珍しく父の希望で家族で映画館に行った。

観た映画はサム・ライミ版のスパイダーマンだった。ニューヨークの街をスウィングするスパイダーマンに惚れ、ベンおじさんの最期に涙した僕はその後結構重度なアメコミオタになった。

映画では、アイアンマンに心くすぐられたり、ガーディアンオブギャラクシーで泣き笑いしたり、魅力的なマーベル作品にもたくさん触れてきたけど、やっぱりスパイダーマンは特別だった。

 

先日公開された「スパイダーバース 」は、待ちに待った映画だった。

原作アメコミも東映スパイダーマンが登場したということで翻訳版が出る前から日本国内でも話題になったりしていた本作。アニメーション映画というのももちろん驚いたが、原作を読んでいた身としてはマイルズを主役にするという改変にも驚いた。というか、多次元(マルチバース)のスパイダーマン終結するという目玉以外は完璧に別物となった映画だが、とにかくこれが大正解。

ちょっと語ることが多すぎるので、ネタバレ込みで感想を言おうと思う。だから観てない人は観てから読んでほしい。

 

 

まず何と言っても公開前から試写などで話題になっていた映像美。

最近はCGアニメーションって珍しくなくなったし、予告見る感じむしろ他のディズニーとかのCGアニメと比べて少し動きが不自然?なんて思ってあまり過度に期待してなかった部分なのだが、聞いていた以上のものが出てきた、という衝撃。

キャラクターは本当にコミックが動き出したと言った感じで、でもふと背景を見るとビックリするほど実写的。それなのにキャラが浮かないし、場面やキャラによって絵柄まで変わる徹底ぶり。いままでにない映像体験で、アトラクションに乗っているような没入感すらあり、これだけで映画館で観る価値がある。

アクションも驚くほど爽快。もともとスパイダーマンは映像向けのアクションをするキャラではあるが、今回のアニメもいままでの実写映画に引けを取らないどころか、アニメーションだからこそできる無茶の効いたアクションは見ていて面白い。

カメラの視点なんかも実にユニークで、最初の予告動画からあった、ビルから落下するマイルズを逆さに映すカットなんてすごい象徴的で、息を飲むシーンになっている。まさかこの場面自体が物語としても大きな意味を持つシーンだとは思いもしなかった。

 

 

 

ストーリーや主役、ヴィランの改変についてはおそらくアメコミファンも含めて満場一致で大成功だったと言うだろう。

 

原作ではピーターだった主役を近年デビューした2代目スパイダーマンのマイルズにすることで少年の成長物語として万人に受ける形に再編された。

ベテランのピーターは主役にするとなかなか動かしづらそうだったが、主役を導く先輩ポジションとしてはうってつけだ。ピーターの成長物語にするためにまたピーターのオリジンを描くのは冗長だし(というかヒーローなりたてのピーターから始めたらスパイダーバースとしての話の肝が失われる)、だからと言ってファンの基礎知識ありきだった原作バースのように、いままでの時間の地続きでベテランになったピーターの話をするのは、そのいままでを知らない初見の人には不親切すぎる。

マイルズのオリジンはピーターとはまた違って新鮮だったし、より現代の若者の悩みに近い。別次元の情けないピーターの新たなオリジンにもなる話の構成は初見の観客を置き去りにしないながらも既存のファンにも満足できる内容だった。

また、今回登場したスパイディたちのオリジンは簡潔に語りながらも要所を押さえており、アメコミファンを感心させながらも、アメコミに強くない人も各キャラのバックボーンをより知りたくなるものになっている。このオリジン紹介シーンはいわゆる天丼のように何度も同じ流れを見せることで笑いのネタとしても上手く使っているのだが、それを紹介するシーンで彼らのコミックが積み重なっていき、最後に決意したマイルズのコミックが登場するのも実に憎い演出。彼もまた語られるべきヒーローになったのだと、たった一冊のコミックで伝わる。

 

登場するスパイディを限りなく削ったのも英断だった。

原作では紙面いっぱいに無数のスパイディ達がおり、それを確認するのが楽しかったのだが、コミックと違って映画では観ているもののペースで場面は移り変わらない。

原作アメコミでの一番の魅力だった無数のスパイディという部分をミニマムにして、個性ある6人のスパイディのみにしたことでそれぞれキャラが立ち、物語の雑多な感じも無くなった。原作アメコミはたくさんのスパイディが一堂に会するのは絵面として面白かったが、どうしても話がとっちらかってる感じは否めなかった。

話のまとまりをつけながら、マルチバースの設定を活かすには最適な人数だったかもしれない。

 

キャラクターの改変、特にノワールとペニーの二人に関しても最高だった。

二人とも原作では暗い空気が付きまとうようなダークなキャラ、シリアスなオリジンを持っていたが、ノワールは白黒時代のキャラ、ペニーは日本アニメ的な部分をそれぞれブラッシュアップすることによってライトな観客にも好かれるキャラになった。

アメコミ界隈ではウォッチメンの登場以降、大人の鑑賞にも耐えうる内容という部分に比重を強く置くような傾向になり、どうしても重い話になりがちである。バースも御多分に洩れず、原作はどちらかというと暗めでみんな深刻な顔をしており、緩衝剤がスパイダーピッグ程度という有様だった。ノワールに至っては原作ではシャレにならん言動ばかりの過激スパイディで、とても映像化には向かないキャラだった。

話自体はライトに、しかし「誰もがヒーローになりうる」という終始一貫して掲げ続けたテーマが深みを与えている。マーベルではお馴染みのスタンのカメオ出演はそれだけで泣けてしまうのに、彼の言った「スーツがピッタリ合う日が必ず来る」という言葉には今回の作品の一番伝えたい部分だったと感じる。MJの「マスクを被るのは誰でも良かった。それでも彼は、自分がマスクを被った」という話にはヒーローになるのはその勇気であるのだと語っている。またスパイダーマンに共通する「大いなる力には大いなる責任が伴う」というテーマは本作にも色濃く出ている。

 

個人的に一番改変して成功だったと思うのがヴィランをキングピンにした事。

原作バースではインヘリターズというスパイディたちの天敵という種族が敵だったのだが、まだまだ登場して歴史が浅い上に、目的も主食である蜘蛛の眷属=スパイディを狩って食べたいというもので、確かに圧倒的な強さはインパクトがあったが魅力に欠けていたのは否めない。

その点キングピンは古くから登場するヴィランでアメコミファンにとっては馴染み深いし、ヴィランでありながら家族を大事に思い、その家族を取り戻すために多次元を求めたというのは歪んでありながらも共感しうる悪役に昇華した。圧倒的で不気味なヴィランは確かに恐ろしくはあるが、物語を遠く感じる一因にもなっていた。

今回話をミニマムにしたところにキングピンという恐ろしくも身近な敵はベストマッチだった。

また、同じくヴィランプラウラーは原作ファンなら正体を知りながらハラハラしただろうし、逆に全く知らない人も驚くようなナイスな展開になっていた。一緒に観に行った彼女は正体が分かった瞬間、思わず溜息が漏れていたので間違いなく話の流れとして成功していたと言える。豆知識ではあるが、プラウラー(というかプラウラーになる人物)はトムホランド版のスパイダーマンでもすでに登場しており、さらに甥の存在も語っていたので今後MCUでもマイルズの活躍が見れるかもしれない。ただこちらはピーターも若いのでなかなか難しいだろうが。

 

公開前にビジュアルを見て心配していたグウェンだが、ツーブロックの理由もしっかりしていたし、公言されはしなかったがリザードマン=ピーターを自分の手で殺してしまったという設定は同じようでファンとしては嬉しくなる。

原作ではまだ描かれていないグウェンがピーターの死を乗り越えるシーンも描かれたので、僕個人としては大満足。何より最初は難色を示していたグウェンのビジュアルや性格もクールだけど可愛いという絶妙な感じ。スパイダーウーマンとしてのグウェンも力強さの中に女性らしいしなやかさもあって、アクション自体も魅力的。また、パンフレットにも書かれていたが彼女のコスチュームは「ゴースト」のようにぼんやりと浮いているように描かれたとあり、近年変更された名称である「ゴーストスパイダー」も意識した描かれ方となっている。

 

そして最後にサプライズ的に登場したスパイダーマン2099。

本国ではそれなりの知名度を得ているが日本では馴染みが薄く、今回の登場もファンサービス程度なのかと思いきや、笑いに振り切った活躍(?)を見せた事で強い印象に残った。日本での知名度も上がるかなぁと思わせるデビューだった。

 

 

 

今回はアニメ作品だったからか、劇場には子供連れの観客も多かった。

今作はスパイダーマンファンはもちろん大満足の出来だったし、過去のスパイダーマンと地続きながらスパイダーマンをあまり知らない客層をも魅了する完璧な娯楽作品に仕上がった。

老若男女問わず夢中になれるムービーじゃないかな?

惜しむらくは予想以上に公開される劇場数が少なかった事。みんな大好き東映スパイダーマンが次回作に出るかは日本の興行収入にかかっていると言っても過言ではないので是非にもみんなに観てもらいたい作品である。(詳しくは下のURLの記事にて)

 

http://amecomi-info.com/2019/01/03/

 

そして観に行ったら絶対に後悔しない作品だと断言しよう。

今週末の予定は決まったね?

スパイダーバースを観に、映画館へGO!!

鹿の瞳の中の僕は死んでいるか

子供の頃思い描いた未来の僕は小説家だった。

いまでも変わらない将来の夢ではあるが、中学生くらいの頃の方がより明確にその未来を思い描いていたかもしれない。

 

僕は田舎で生まれ育った。

野山を駆け回る、をまさしく読んで字のごとくな生活を送っていたぐらいには田舎だ。

そんな田舎で小説を書いてます、将来の夢は小説家です、と言っている中学生は僕一人だった。

周りから書く文章を何度も褒められた。

勉強が特別できるわけでなければ、運動だって苦手。小さい頃から運動神経のいい弟と比べて特筆褒められる点がなかった僕にとってはそれは承認欲求を満たせる唯一つのアイデンティティだった。

高校に進学しても小説家という夢は変わらなかった。

ネットに作品を上げたりもして、それなりにたくさんの人に読んでもらえて良い評価ももらえた。

完全に天狗になっていた。

井の中の蛙大海を知らず、だ。

 

その後、僕は大学進学の際にその頃気になっていた出版編集も学べて、小説も学ぶことができる芸術大学へ進学することにした。

将来への明るい未来を想像して地元を離れたが、そこで僕は蛙だったことを知る。

僕程度に文章を書ける人間はごまんといることを知って、天狗の鼻は完全に折れた。

特別であると自惚れていた自分が、ただの凡百である事が僕はどうしても受け入れる事ができなかった。

 

それでも必死で文章を書き続けたが、全く書けなくなった時期があった。どんなに話を書き始めても、続けて書くことができなくなり、どう頑張っても納得のいかない文章ばかりが生産されていく。

ただ、その頃は遮二無二書き続けて、えらい尖った作品を提出することが多かった。どんな形であれ作品を作ることを絶やしたくなかった。教授から難色を示されたりもしたが、あの時期でなければ書けない作品もある。

 

 

 

先日実家の大掃除をしていたら、1回生の時に書いた小説が出てきた。

教授が持ってきた写真を一人一枚ずつ選んでその写真にストーリーを付けるという課題だった。

僕が選んだのは猟師の年配の男が獲った鹿を肩に担ぎ、その鹿の顔を猟犬が覗き込んでいるという写真だ。

僕はこれを犬目線のお話で書いた。

覗き込んだ鹿の瞳の中に見えた死の闇に恐怖を感じた猟犬が、主人である人間に死体になった自分が同じように担がれているところを想像するというお話だ。

教授からは「犬がこんなに哲学的にものを考えるだろうか」と嘲笑されたが(僕はこの総評をいまだに納得していない)。

しかし、改めて自分で読み返してもとても自分の内側からこんなお話が出来上がるとは驚きだ。あの頃、自分のことを平凡な人間だと思いたくない多感だった僕が、ただ無我夢中でリビドーだけに従って書いたからこそ生まれた作品なのかもしれない。

 

 

大学時代の最後、卒業制作が小さな賞を取った。文章の良し悪しというより、卒制にあてるべき大事な最後の大学生活の一年間をなぜか仏像を彫ることに費やした自身の実体験を書いたエッセイという、変化球的なところが評価されただけのような気もしたが、それでもこの4年間でぺちゃんこになった自尊心が少しでも救われたような気がした。

 

 

お世話になったゼミの教授からは最後に「これからも文章を書き続けろよ」と言われた。

就職してからは忙しさにかまけて、文章を書くことからずいぶん離れてしまっている。

あの頃折れた鼻はいまも筆を握る手を曇らせる。

でも死んだように生きたくはない。将来の夢と聞かれて二つ返事で「小説家」と答えていたあの頃のように生きたい。

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「怪奇ゾーン グラビティフォールズ」 一夏の奇妙な思い出が子供をちょっぴり大人にする

キングダムハーツⅢを無事シークレットムービーまで終わらせて一息ついています。

いま感想を書くと衝動的なものになりそうなのでもう少し落ち着かせてから書こうと思います。

シリーズ最後の作品ということもあっていろいろこみ上げる感情もあるので。

 

 

じゃぁ今回は何を語るのか、と言いますとですね。

怪奇ゾーン グラビティフォールズ」です。

ディズニーチャンネルにて放送されたディズニーのテレビアニメシリーズなんですが、ディズニーチャンネルオリジナル作品という存在自体をおそらく多くの方は知らないかと思います。

実はこのディズニーチャンネルにて放送されているアニメは名作揃いで、「フィニアスとファーブ」や「小さなプリンセス ソフィア」、あとは映画のその後を描く「ラプンツェルシリーズ」、「ベイマックスシリーズ」なんかがあるんですが、まぁその辺りも追い追い語ります。

ディズニーのアニメシリーズは古くはチップとデールのレスキューレンジャーやプーさんなどがありましたし、その辺りは僕ら世代(1990年代生まれ)だとテレ東でやってたりもしたので知ってる人もいるかもしれません。

 

グラビティフォールズは1話30分で全41話の、海外のアニメにしては短めのシリーズになります。

全編通してコメディ調のカートゥーンアニメ然とした絵柄で見てて笑える楽しい作品なんですが、舞台である"グラビティフォールズ"は奇妙なことが多発する不思議な町で、そこで起こる謎を解いていきながら町の真実に辿り着くという怪奇ミステリーも合わさったお話です。公式ではSFミステリーアドベンチャーとなっておりました。全部盛り!

散りばめられた伏線もしっかりしてて大人の鑑賞にも耐えうる作品です。

いや、これの作品はむしろ大人にこそ見てもらいたい作品なのです!

 

 

 

 

あらすじ

双子の姉弟であるディッパー・パインズとメイベル・パインズは、夏休みの間だけオレゴン州の静かな町グラビティフォールズに住むスタン大叔父さんのもとで暮らすことになった。

スタンはグラビティフォールズの不思議な品々を展示する屋敷"ミステリーハウス"の主だが、実際は偽物の展示品で観光客を騙す金の亡者の詐欺師だった。しかし、失望したディッパーが六本指の表紙が付いた謎の日誌"ジャーナル"を拾うと同時に、パインズ姉弟の周りで本物の超常現象が次々と起こり出していく。

グラビティフォールズには大きな謎が隠されていると考えたディッパーは、メイベルと「ミステリーツインズ」を結成し、日誌の記述を手がかりに謎を解き明かそうとするが…?

(Wikipediaより抜粋)

 

 

 

奇妙な町の奇妙な出来事、奇妙な人々

簡単に言ってしまえば、この作品は

「夏休みを利用して親戚の家で過ごし、非日常を体験する子供達のお話」である。

言っちゃえば『ぼくのなつやすみ』。

 

舞台のグラビティフォールズはアメリカの架空の田舎町。

ここでは毎日不思議なことが起こって、なんだか奇妙な人たちも暮らしてます。

 

怪奇とかSFとか好きな人なら思わず喰いついてしまうエピソードの数々で、話も軽快ながらその実めちゃくちゃ細かく伏線や後の話の細かいネタを仕込んできて大人だって飽きさせない出来なんです。

 

例えばゾンビ、ノーム、ネッシー、人魚、超能力少年、未来人、コピー人間(本当にコピー機でコピーした人間)、キューピッド、秘密結社、自我を持ったギャルゲーの攻略相手....etc

しかもこれらの怪異が一捻りもふた捻りもしたような形で出てくるので毎話毎話「今度はどんなとんでも怪奇現象が?」とワクワクしちゃう事必至。

 

奇妙なのは起こる怪奇現象だけじゃなくて、脇を固めるキャラクター達もどこか不思議。

主人公達の祖母の兄の大叔父さんのスタンは金儲けが大好きなインチキミステリーハウスの経営者だし、ミステリーハウスのアルバイトのスースはタダ働きだし言動がちょっとずれてるし、同じくバイトのウェンディはクールだけどサボリ魔だし…。この辺りは不思議ってより癖が強いって感じか。

町の住人では、なぜかいつも片目がしまってるおばさんウェイター、天災発明家のおじいさん、キツツキと結婚した男、常に一緒に行動してる男性警官二人組....etc

とにかくみんな腹に一物を抱えてる感じがして、誰も信用できない。

ディッパーとメイベルはこの町の謎を解く事ができるのか!

 

 

 

 

 

緻密に計算された伏線、全ての謎は収束する?

ジャンルにミステリーが付いてるくらいなので、もちろん謎解き要素(?)もあります。

毎話登場する怪奇の他にも話の本筋では、

 

・ディッパーが拾った謎の本「ジャーナル」とは何なのか

・「ジャーナル」の筆者は誰なのか

・「ジャーナル」の中にたびたび登場する「三角の目」とは

・そもそもこの町は何故これほど不思議な事が起こるのか

・普段はただの金に汚い男でしかないスタンが誰にも秘密で地下室で何をしているのか

 

という上記のような話全体を通して明らかになっていく謎なんかもあって、1話完結に収まらないシリーズを通しての楽しみなんかもあります。

シリーズを重ねがちな海外のドラマやアニメは謎が謎のままシーズンが終わってまた続きなんてのもありますが、グラビティフォールズはきっちり41話で終わりますし、全ての謎がしっかり解かれます。

安心して観れますね。

 

 

そしてこの通して明かされる謎のヒントが実に巧妙に散りばめられているのです。

あとは伏線ではないのですが、最後にはいままでのエピソードのキャラクター達が登場したりして、なかなかに壮観だし少年漫画を想起させる熱さです。

 

 

 

 

 

 

一夏の思い出の後に残る淡い想い

思い返すと自分の子供時代の夏休みの思い出って他の思い出とはちょっと違って、なんだか特別だったりします。

きっとそれって僕だけじゃないと思うんです。

 

 

一夏の思い出って特別非日常だけど、彼ら双子が出会うのは本当の不思議。僕らが空想した不思議を本当に体験してる彼らに、体験したことはないのにまるで自分の思い出のように重ねてしまう。

 

 

その中で彼らはいろんなことを学びます。

大切な人のために危険に立ち向かう勇気、親友の大切さ、許すという選択肢を取れる強さ、そして家族の偉大さ。

 

 

主人公の二人は夏休みの最後にそれぞれが大人になることと向き合うエピソードがあります。

大人になる事窮屈さを知り、この夏休みが終わらなければと願います。

でも彼らが体験したこの一夏を通して、夏休みの最後、「大人になる事への恐怖」に打ち勝ちます。

彼らはもう大人になる事を受け入れます。でもやっぱり少し怖いと思います。

でも大人になった僕らはそれを見て思い出すのです。自分たちもそうやっておっかなびっくりしながら大人になったことを。

 

もう体験する事のできない夏休みにノスタルジーを感じてみるのはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

最後に

ここまで書いて最後にこれ書くの申し訳ないんですが、現状日本でのグラビティフォールズの映像ソフトは出てませんし、予定もありません。(アメリカではBDboxが出ましたし、日本でも出せるように尽力するなんてコメントが発表されましたが、その後の続報がありません)

見る方法はアマゾンプライムビデオで1話ずつ購入していただくしか方法がない様子です。

ディズニーチャンネルで定期的に放送してるんですが、そもそもディズニーチャンネルにすでに加入してる人で「これからグラビティフォールズ観よう」ってなる人、いないんじゃないですか?

是非この素晴らしい作品を日本でも普及できるよう、映像ソフト化を望むばかりです。