ノー・ウェイ・ホームから始まる新たなスパイダーマン

少し気持ちが落ち着いてきたので改めて自分の感情とすり合わせて感想が言えそうだなと思ったので、2回続けてで悪いけど「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム(以下NWH)」の感想を語っていこうと思う。

前回に続きネタバレ全開で書くので、まだ観てない人は素直にページを閉じてほしい。なんかTwitter見てると「ネタバレは確かにしてないけどその書き方じゃこの作品の肝の部分を察してしまうんじゃ…」と思うような書き込みもあるのでどれだけの人がネタバレを踏まずに観れるか分からないけど、とにかく僕はこの作品を是非情報を入れずに劇場で観てほしいので絶対に観てない人はこの先に進まないで欲しいのだ。

今回も前回と同じく結構スペースを開けて書き始めるのでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなもんでいいだろうか?

 

観た人用に書くのであらゆる詳細を省きながら書こうと思う。

 

まずは今回事前に発表されていた歴代ヴィラン大集合について。

何回でも語りたいのだが、ウィレム・デフォーのノーマンをもう一度見れたこと、そしてその演技が本当に当時を思い出されるほどの超こわヴィランだった事、本当に感謝しかない。

たしかにサム・ライミ版2のオットーも知的ヴィランながら最後に自我を取り戻した演技が良かったし、3のハリーも良かった(というか個人的にはハリーとの共闘があったからこそサム・ライミ版では3が一番好きなのだ。今回ハリー登場を少し期待してたが、トビーが「親友を失った」という事をあの悔やむような表情で語ってくれただけで限界オタクとして昇天してしまった)サム・ライミ版のヴェノムは置いておくとして…。

アメスパのヴィランたちもとても魅力的だったし、どのヴィランも再登場してくれてしかもオリジナルキャストだっただけで救われるような思いだったのだが、やはりノーマンの演技は頭ひとつ抜けてるように思った。

小心者になってしまう本来のノーマンの演技からのゴブリンとしてのノーマンの演技の振れ幅は思わずくらくらしてしまうほど。

なんか事前情報でさっさと顔を出した(というより顔を隠すヴィランではないのだが)オットー役のアルフレッドと違って一向に顔を見せないノーマンは本当にウィレムがやってくれるの?という思いがずっとモヤモヤしてた。一応公式から「グリーンゴブリンも本人だよ!」とアナウンスされたのだが事前のPVではオットーばかりが映されてたのでやはり人気のある2のオットーがメインヴィランなのかな、と僕は一人残念に思っていたので、むしろがっつりメインヴィランをノーマンが担当してくれたのは心の底から嬉しかった。

当時のスパイダーマン公開から20年経って改めて最高に怖いノーマン・オズボーンが観れたということだけで今回のNWHには公開された価値が十二分にあるのだ。もちろんそれ以上の価値があったのだが。

 

 

 

 

そしてそのビッグサプライズ、トビーとアンドリューの再登場だ。

公開前から散々噂されてみんなもどこかで期待してたのだが、わざわざ向こうのメディアがアンドリューに取材しに行ってNWHへの登場を尋ねたところ「出ないよ」と言ったことでファンも「そりゃそうだよな。その作品の一回限りで出演してたヴィランと違ってシリーズが続くはずだった主役たちは打ち切りされた作品への再登場なんていろいろ遺憾があったり複雑な感情があったりするよな」とまぁ期待してませんよ!というていで公開日まで過ごした。

それからのこれなのでファンとしては思わず拍手したくなったと同時に「よくこんな大きなサプライズをネタバレ王のトムが言うの我慢できたな」と思ったのである。しかしおかげでマスクを外してアンドリューが出てきた瞬間のあの劇場全体が息を呑み込んだ体験ができたのだけど。

ここ、他の誰でもなくピーターの親友であるネッドが呼び寄せたっていうのがまたよかった。魔法が普通に使えたことが驚きだったが、望んだピーターじゃなくて他のユニバースのピーターを呼んでしまったというのは有り得そうなドジだし、むしろグッジョブと言いたくなった。

あとアンドリューピーターがいた場所、路地裏だったのが良い。やっぱスパイダーマンと言えば路地裏、と勝手に思ってるのでらしい場所にいるなぁと1人でにやけてた。

トビーとアンドリューがそれぞれのユニバースのことを話すシーン、もうファンとしては何度妄想したシーンか!ネッドの質問に対して「親友は敵になって自分が殺した」って言うところ、思わず「あー…」と声が漏れてた。

他にもグウェンを失って容赦しなくなったというアンドリューを見て、アメスパ2の最後になんとか立ち直ってヒーローを再開したように見えたけど、あの後も心は救われないままヒーロー活動してたんだなって悲しくなったし、逆にMJと完璧な形で無いにしろ自分たちなりの関係を築いてる事を語るトビーを見て「こいつらいまも付き合っては別れるを繰り返してるのか」と思わずニンマリ。

今回ヴィランに叔母のメイを殺されるという「大事な人を殺された」経験をしたトムホピーター。今まで散々語ってきたが叔父の役割を代わりにトニーが果たしたMCU版ではトニーを看取る役割となったピーターだが、そのトニーも大きな敵との相討ちであった。また、ホームシリーズ2作ではヴィランに対して「止めたい」という感情で相対してきたピーターが初めて「殺したい」という感情でヴィランと向かい合うこととなった。

作中でも語られている通り、スパイディにとっては通過儀礼ですらある大事な人の死。最初は無傷生還かと思わせてのメイおばさんの死は観客に与えた絶望も大きかったし、ピーターの悲壮感も苦しいほど伝わってきた。

だからこそ最後にゴブリンと戦う際の憎しみに駆られたトムホピーターはいままでの敵に対しても愛を感じていた姿とは違って、見るのが苦しいほどだった。大きな戦いもいくつも経験してきたMCUのピーターだが、まだ彼は子供であり、なんでこんな表情をして殴り合わなければいけないのだろうと涙してしまった。図らずも大人になってしまったように映ったのが余計に悲しい。

しかしそこに居合わせたのがかつて憎しみに身を任せてしまった先輩スパイディ2人。特に親友の父であり、自身の父のようにも感じていたノーマンを救うチャンスが巡ってきたトビーピーターにとって、憎しみのままに人を殺してしまう経験を経てしまう後輩を止めることにはもっとたくさんの意味があった。

叔母の命を奪ったグライダーを手に持ち、ゴブリンへと振るったトムホピーターだったが、その凶刃を受け止めたのはトビーピーター。かつてそのグライダーを避けてしまったがためにノーマンを死に追いやってしまったピーターが今度はそれを受け止めた展開、歴史が改変されたなって思うよね。ハリーの憎しみや死を思ったからこその行動でもあるんだろうなと思うとあの3の共闘に涙した身としては感極まるものがある。

ここのシーン、ノーマンへの殺意はトムホピーター自身で止めてほしかったという感想をネットで見かけたが「え、キミメイおばさんが死ぬシーンの時寝てた?あれ経験してるピーターに自分で思いとどまれって、ピーターは聖人ではなくてまだ子供なんだよ?」と思ってしまった。僕はそれを止めるために先輩たちがこの世界に呼ばれたとすら思ってるのに。感想は人それぞれだけど。

ここでトビーピーター死ぬんじゃないかってハラハラしたけど、割と普通に最後立ってたから一安心。さすがは手首から糸を出す男。他のピーターとは体の強化具合が違いますよ。というかこの手首から糸を出すの他ピーターから「すげぇ!」って言われてるの良かったよね。「どうなってるの!?」って言われて説明は恥ずかしくてしないトビーピーター、精通のメタファーだしなと笑ってしまった。

 

あと、チームワークに乏しいピーターたち可愛かったよね。チーム活動の経験では先輩なトムホピーターもよかった。「アベンジャーズ?何それバンド?」は笑う。ピーターもアンドリューも孤独のヒーローだったからなぁ。だからこそ最後に孤独になったトムホピーターも独りじゃないって思たんだけどね。

 

 

 

メイおばさんの死や「大いなる力には大いなる責任が伴う」を教訓として得たトムホピーターにとってはまさしくオリジンとなったNWH。それと同時に過去のスパイダーマンヴィラン全てが救われた本作はお祭り作品以上のファンにとって特別な作品となった。

自分の記憶違いだったら恥ずかしいけどMCUで「大いなる〜」が出たのって初?NWHのCMで宮野真守(スパイダーバースのピーター)がこのセリフ言うのマジでグッジョブ。そういやエレクトロとアンドリューピーターの和解シーンで「スパイダーマンの正体は黒人だって思ってた」って言ったところ、みんな「マイルスがいるよ」って思ったでしょ。以前のバースの感想にも書いたけどMCUにもマイルスの存在が仄めかされていたので、今後実写でも黒人スパイダーマンのデビューはありそうだよね。

今回がトムホピーターにとってのオリジンになったわけだし、彼のライジングも見たいけど、オリジンで終わるってのもなんだか粋だよね。

ただ、ホームカミングでバルチャー味方フラグとかスコーピオンがヴィラン再登場フラグとかあっただけにそれ放置したまま終わってしまうのももったいないよなぁ。むしろ天涯孤独となったピーターのことを覚えていたのがバルチャーとかなら熱い!けど、あんなに思い出を共有した親友と恋人が忘れてるのに一度敵対しただけのヴィランが覚えてるってのも微妙か。

今後トムホピーターがどうなっていくのかは分からないけど楽しみなのは間違いない。

 

 

あと、一つ不満だったのがクレジット後のエディとヴェノム。これからがっつりMCUに絡むのかなと思ったらシンビオート運んだだけですぐに帰ってしまった。それならわざわざMCU来なくても良かったんじゃない?

正直めちゃくちゃ切ない終わり方したこの空気を壊すようにMCU参戦決まったデップーが登場したらクソ笑えるしめちゃくちゃ熱いんだけどなぁ、と思ってただけに毎回の楽しみのエンドクレジットにしては残念な気持ちの方が勝っちゃった。というかこのデップー、まさかの大好きな漫画家のみなぎ得一先生が同じこと呟いててビックリしたよね。でも原作アメコミでは散々絡みのあるスパイディとデップーだからこそ絡んでほしかった!そんであの誰にでも優しいトムホピーターがウザがってるところを見たかった!というかMCUへの初登場として一番インパクト残りそうだったのに、もったいないなぁと思ったよ。

 

 

 

 

 

なんかまだまだ語り足りない気がするけど、概ね話したいことは書けたかな?

先日気付いたんだけど、サム・ライミ版当時は僕も幼かったので吹替版で観てたので、もしや吹替声優も当時のまま?と思って調べたら見事に当時のキャストだった。ジャニーズの件に目を瞑ってでも吹替も観たくなってしまった。

もう一回泣けるチャンスがあるのは嬉しいな。

とにかく早く円盤出してください。死ぬほど繰り返し観ます。

 

 

 

 

 

 

あと、眉唾な噂だけどアメスパ3の制作をするとか?

本当かそれ?いや、もちろん作られたら嬉しいんだけど。しかし今回の参戦でアンドリューが乗り気になってること(というか打ち切り理由も別にアンドリューが嫌がってたわけでもなかったし)、以前からエマ・ストーンがグウェンが出るなら是非演じたいと言ってることを考えると全く無くはなさそう?

それこそマルチユニバース利用してスパイダーグウェンとしてエマが出たらもう今回のサプライズと同等くらいの価値はある。

冗談半分でこちらのアメスパの続報も期待して待とう。

スパイダーマンNWHを観た人生に転生しました

※ネタバレ感想です。必ず!必ず映画を観てから読んでください!僕が文句を言われないためではなく、あなたに損しかさせないからです。本当にお願いします!だから十分にスペースを空けます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………本当に観た?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか古のホームページってこういう風にスペース空けて「覚悟した?」みたいなちょっと寒目のノリあったよね。黒歴史が蘇る!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に本題に入ります。

 

 

 

スパイダーマンありがとう

内容の前に先にこれを語らなければいけない。

トビー、アンドリュー、本当におかえり。

かつてスパイダーマンは2つのシリーズが作られた。トビー・マグワイア主演の「スパイダーマン」とアンドリュー・ガーフィールド主演の「アメイジングスパイダーマン」である。

これら2つは残念ながら打ち切りという形でそれぞれがシリーズの終焉を迎えている。

そして今現在作られているシリーズがトム・ホランド主演のMCU版「スパイダーマン」である。

かつて権利がソニーに買われた為にMCU合流は絶望的かと言われたスパイダーマンだったが、ソニーが合意しサプライズ的に「シビル・ウォー」にて参戦したのが始まりだ。

「ファー・フロム・ホーム」、「ホーム・カミング」と順調にシリーズを重ね、今作「ノー・ウェイ・ホーム」で3作目となる。

今回のテーマが「マルチバース」であり、かつてのヴィランたちが再登場するという事でかねてから歴代スパイディが集合するのではないかと噂されていた。打ち切りになったかつてのスパイディたちを集合させるなんて力技、そうそう実現しないよ、とファンは期待しないふりをしていた。それこそ作中でMJが言った「期待しなければ絶望もしない」である。ただ、本当はどこかでみんな思っていたはずだ。「トビーとアンドリューがトムの危機に馳せ参じるんじゃないか」って。

 

だから僕はその真偽を"誰かに教えてもらうよりも先に"映画館で"自分の目"で確かめる為に初めて公開初日に映画館へと観に行った。過去どれだけ気になる作品でも2日目とかだったと思う。

 

そして観たのだ。

アンドリューが笑いながらこちらにくる瞬間を。

トビーが再び「ピーター・パーカー」を名乗る瞬間を。

アンドリューが出てきた瞬間はただただ息を呑んできっとめちゃくちゃニヤけてた。思い切り自分の手を握って感動を押し殺してた。でもトビーが現れた時、もう予感していたのに僕は声が漏れそうになる程泣いた。泣き崩れたと表現してもいいくらい泣いた。きっと映画館でなかったら子供のように声を出して泣いただろう。

自分でも気付かなかったけどそうか、自分はトビーの演じるピーターをこんなにも焦がれていたのか。嗚咽を漏らして泣くほど待ち望んでいたのか。それが自分でも驚きだったし、でもストンと腑に落ちた。

正直トムの元に2人が現れたことはもちろんなんだけど、ただトビーとアンドリューが並んで話してるだけでスパイダーマンファンとしては号泣ものである。正直脳がバグる。アメイジングシリーズが始まったときには想像することもできなかった光景が目の前にあって、しかも2人がスパイダーマンとしての気苦労を話してる。これはまさしくコミック版「スパイダーバース」。原作にももちろん2人の話題は出てたしね。彼らが気さくに話し、そして同時にスイングした瞬間のあの感動、正直分かっていたというか予期していたけどそれでも泣けてしまうのだ。

 

そして何より素晴らしかったのは、かつてのグウェンよろしく、落ちていく今シリーズのMJを今度こそアンドリューピーターが救うシーン。救出されてお礼を言うMJに、逆に心が救われたアンドリューピーターが泣く姿は、見ている我々ファンの心まで救われた。

原作通りに衝撃的な最期を迎えてしまったグウェンを、しかし後のシリーズが作られることが無かったばかりに本当の意味で救われることの無かったアンドリューピーターのその続きを見れたことは、お祭り的にスパイディもヴィランも集まった以上の意味があったのである。

僕はどちらかと言えば初代スパイダーマン派なのでオットーに救われたトビーピーターが感動的に映ったけど、このアンドリューのシーンは流石に込み上げるものを抑えられなかった。

 

かつて悲しい終わり方をしてしまった2人のスパイディの救いにもなるNWH。彼らも「故郷(原作シリーズ)に帰る道は無い」が、今回の作品で彼らの人生が続いていたのだと確認でき、それだけで感無量の作品だった。

 

 

 

 

 

 

 

サプライズはそれだけじゃない!

さて、いきなり肝の部分を話してしまったので、ここから改めて作品全体を振り返っていく。

前作FFHの最後に殺人の汚名を着せられた上に正体までバラされたスパイダーマン、ピーター・パーカーは全世界から批判の的にされていた。

正体をバラされてるばっかりに家にまで反スパイダーマンの人たちは押し寄せてくるし、殺人の容疑まであるし、みんな前作のヴィランのミステリオを支持してるしで散々な始まりを見せる今作。

過去シリーズとは打って変わって若くて勝ち気なメイおばさんが「こっちも疑われるなら弁護士立てたるわい!」とお願いした弁護士がこれまたサプライズ!デアデビルことマードックだったのだ!なんかネトフリとの間でごちゃごちゃしてたみたいだけど無事にMCUの映画に出れたね!

原作でも共闘する場面が多かったので、今後の共闘に期待!

 

 

 

あらゆる世界からやってきたヴィラン

今回の大きな目玉であるスパイディのかつてのヴィランたちの参戦。

しかもかつての俳優たちがしっかりそのまま演じると言う事で大盛り上がり!

ルフレッド・マリーナ演じるドクターオクトパスを筆頭にリザード、エレクトロ、サンドマン、そしてグリーンゴブリンが参戦!

小学生当時、ウィレム・デフォー演じるノーマン・オズボーンが本当に怖くて、スパイダーマンは好きな作品だけど観るのは若干怖いというジレンマがあったのだが、あの恐ろしいグリーンゴブリンは健在!ノーマンの人格とグリーンゴブリンの人格の演じ分けの上手さはやはり舌を巻く。というか若干トラウマを刺激されるくらい怖かった。

エレクトロは君どうした?ってくらいイメチェンしてたけど作中でもいじられててなんだかほっこり。

おそらく世間的に人気のあるスパイダーマン2ヴィランを務めたドクターオクトパスが、プロモーションを見る感じでも明らかに目玉だったのだが、お話的にはグリーンゴブリンにめちゃくちゃフィーチャーされてたのは個人的に嬉しかったポイント。やはりグリーンゴブリンが出た「スパイダーマン」から好きになったし、自分の中では「やっぱりスパイダーマンヴィランと言えばグリーンゴブリン!」という気持ちがあったので素直に嬉しい。映画スパイダーマン的には最古のヴィランであるグリーンゴブリンと最新のスパイダーマンが最後戦うのはなかなかくるものがあった。

しかしメイおばさん、原作でもピーターの正体がバレたいざこざで亡くなったけど、映画でも今作でグリーンゴブリンに殺されることになったのだから、やはりこいつは一番怖い印象が残る現れ方をするな、と。

 

今回集まったヴィランたちはかつてスパイダーマンに倒されたその直前から連れてこられており、最初はそんな彼らを元の世界に戻すことが目的だったが、元の世界に戻った瞬間死んでしまうことが確定してる彼らを改心させ、死なないよう元の世界に戻すことが最終的な目標となった。

いわゆるIFの物語であるし、悪虐非道の数々を働いてきた彼らを改心させてまで生かすことに意味はあるのか?とか思わなくはないが、今シリーズのトムホピーターはそんな青い考え方をしそうだからこの展開にも説得力があるし、過去シリーズの贖罪ともなっているので実に素晴らしい。

エレクトロとアンドリューピーターの和解なんかは見たかったシーンでもあるし、オクトパスと生きたまま和解することができたトビーピーターも涙無しじゃ見れない。

お祭り作品としてワクワクさせながら、しっかりこのお祭りに意味を与えていたという意味でよくできた作品である。

 

 

 

ちょっぴりビターな結末

自分の正体を忘れる魔法を使ったが、それが変に拗れてしまったがためにあらゆる世界線からスパイダーマン=ピーター・パーカーという真実を知る存在が現れることになってしまったNWH。

そんな現状の打開策としてピーターが提案したのが「ピーター・パーカーという存在を全ての人の記憶から消すこと」だった。

もちろんかつて共闘したストレンジや、親友のネッド、そして恋人のMJからも彼の記憶が無くなることを意味していた。

それでも世界の危機を前にしたときに躊躇なく己を犠牲にできるのがスパイダーマンなんだよなぁ。

例え忘れても見つけて思い出させてとMJとネッドは言う。「もし見つけられなかったら、私が見つけるから」とMJ。そして彼女らとの別れを済ませ、ストレンジの魔法が発動する。

結果、世界中の人の記憶からピーター・パーカーの存在は消え去った。そしてMJが働いているドーナツ屋へと向かうピーター。もう一度出会う為に。

ドーナツ屋のレジには変わらない笑顔で務める彼女がいた。そして、カウンターには親友のネッドも。彼らは顔を突き合わせてMITへの進学を喜んでいた。元の世界では犯罪者であるピーターの関係者ということで全ての大学から不合格を押されていた彼らも、ピーターの存在が忘れられ、また仮面の人となったスパイダーマンと関係が無くなり無事に第一志望のMITへ進学することができたのだ。そんな彼女らを見て、何度も伝えようとした再会のカンペを書いたメモをポケットに仕舞うピーター。結局ピーターは彼女らと再会せずに去る。再び出会うことが不幸へと繋がるかは分からないが、いまが幸せならと愛しい人たちとの関係を戻さずに去る姿は一つ大人になったようで、少し寂しくもあった。それも、孤独と戦ってきた先人であるスパイダーマンたちと出会ったからだろう。

そしてピーターは叔母の墓前へと向かう。原作アメコミでは叔母の死を無かったことにする為に悪魔と契約し、世界をリセットした。おそらく今回の展開はこれになぞらえたものなのだが、記憶を消すことだけを望んだので亡くなったメイおばさんは帰ってこない。それでも彼女から引き継いだ「道徳心」はしっかりと彼の胸にあった。

メイおばさんと暮らした古いボロアパートで一人暮らしを始めるピーター。高校は卒検を取るしかなく、知り合いもおらず、将来に希望はない。まさに「家へと帰る道」を無くしたわけだ。それでも彼は笑みを浮かべ、困っている人の元へとスーツを着て向かう。

彼がスイングするのは冬のニューヨーク。「スパイダーバース」でマイルスとピーターが出会ったあのシーンを、意識せずとも思い出すその光景を見て、彼が一人でないことを想起させる。いろんなMCUアレンジの効いたスーツを着こなしてきたトムホピーターは最後、最初期のクラシックスーツを着ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわりに

今回でホーム3部作と呼ばれたシリーズが一旦の幕を下ろす。

トムホ自身はこれで自分のスパイダーマンは終わりと語ったが、ソニーからは次の作品もトムホに演じてもらうと語るし、本当のところはどっちかはまだ分からない。

それでもこれが完結になってもいいと思える素晴らしい作品だった。

作品自体の上映時間はMCU作品の例に漏れず長いが、そんな長い時間が気にならないくらい、スパイダーマンファンにとっては夢のような作品だった。

トビー、アンドリュー、トムが並び立った瞬間のあの感動を、僕は生涯忘れないだろう。

扉を開けようとした人

夏なので自分の体験した怖い話を書こうと思います。

 

 

大学を卒業してすぐに就職したのが車関係の会社でした。

会社自体は僕の実家のある市から車で1時間ほどでしたが峠を越える必要があり、通うには少し大変な距離でした。

一人暮らしすることも考えていた時、会社から新入社員用の寮を今年度から用意するという話が出ました。これには願ったり叶ったりと思ったのですが、その寮というのが一軒家の借家でした。

当時ルームシェアをする男女のリアリティ番組が流行っており、流行り物が好きな社長が考えたものでした。ただ、他の新入社員は結構通えない事もない距離に住んでた事もあり、希望者が僕だけという状況でした。1人だけのために一軒家の寮を用意するのも、というのが会社の本音だったみたいで寮の話自体が無くなりそうだったのですが、それを察した同じ新入社員のTくんが「自分も寮に入ってもいい」と申し出てくれたのです。彼もそんなに遠くないところに住んでいたので本来は寮に入る必要もなかったのですが、優しさから提案してくれたのです。

そうして新入社員寮はスタートしました。

一回は大きめのキッチンダイニングと風呂トイレ、あとは畳の部屋が一つあり、2階は3つ部屋がありました。

2階の2部屋をそれぞれの部屋と決め、下の1部屋は共同のリビングにしようということになりました。僕の部屋は玄関すぐにある階段から上がった目の前の部屋で、玄関から入って階段を見上げると部屋の扉が見える間取りです。

 

 

最初のうちこそ共同生活をしていた僕らですが、だんだんと家事が面倒臭くなったTくんは次第に実家に帰ることが増えて、一軒家に僕1人という日がほとんどになっていました。残念ながら就職した会社はブラックで、朝の7時から夜は22時過ぎまでサビ残で働くような会社だったので、僕もほぼ寝に帰ってるくらいの感じです。

 

 

ある日の事です。

僕が自室で寝ていると、階段を登ってくる足音が聞こえました。Tくんは帰ってくる事は少なくなりましたが、たまに飲んだりすると簡単に帰れる寮に帰ってくることがありました。時計を見ると2時ごろでしたから、ずいぶん遅くまで飲んでいたのだなぁと思って特に気も止めずにもう一度寝ようとした時です。

階段を上がって僕の部屋の前で止まったそれが思い切り僕の部屋の扉を引きました。ガンッ!と強い音がして僕も飛び起きました。しかしドアノブを回していないからか、開く事はありません。僕もビックリしましたが、また足音がして階段を降りていった様子を聞いて、「あいつだいぶ酔ってるなぁ」と思ってすぐにまた寝付きました。

朝起きるともうTくんはおらず、僕より早く出勤した様子でした。

出勤すると案の定、Tくんは先に職場にいました。

「お前さぁ、いくら酔って帰ってきても人の扉あんな開き方するなよ」と少し怒りながら言うとTくんは不思議な様子です。

「何の話?」

「いやさ、昨日飲み歩いてきたのか知らんけど、結構遅い時間に寮に帰ってきたでしょ?」

「いや、帰ってないけど…」

僕もTくんも2人して頭の上にハテナを浮かべてしまいました。

確認すると、Tくんは昨日は仕事が終わると実家の方に帰り、今日もそちらから出勤したと言うのです。

僕も昨日の夜にあったことを話すと「何それ、誰かいたってこと?」と怖がっています。何だか僕も怖くなってしまいましたが、それでも夜遅くに仕事が終わって実家まで帰る手間を考えたら、まだ僕が寝ぼけていた可能性があることに賭けて住み続けようと思いました。

 

しかし、残念ながら寝ぼけていたわけでも気のせいでもなく、その後も何度も僕の部屋の扉を開けようとその何者かは試みていました。最初のうちは怖くも思っていましたが、だんだん慣れてきたことと、ブラック会社での疲れが溜まってきている事もあり、「うるせぇ!やめろ!」と言い返すようになっていました。

この話を職場ですると笑われて、先輩たちからは「今度寮で肝試しやろうぜ!」と言われ、半ば持ちネタのようになっていました。

 

 

そんな生活も数ヶ月経ったある日です。

その日は特別仕事が遅くなってしまい、もうへとへとになって帰ってきました。とにかく帰ったらすぐにベッドに横になろう、シャワーは明日の朝にしようと思いながら玄関を開け、パッと階段の上を見ました。

僕の部屋の前、階段を上ってすぐのところに、長い髪に白い服を着た女が立っていました。長い髪が顔にもかかっており、顔はよく見えませんが隙間から覗く目だけが僕を睨みつけています。

僕はそれを見て、叫ぶでも怖がるでもなく「流石に今日は実家帰るか」と冷静に考えていました。そいつから目は逸らさず、後ろ手で玄関を開け、刺激しないよう(?)にゆっくり外に出ました。その間も彼女はずっとこちらを睨みつけています。

僕は実家へ帰る中、だんだんと先ほど見た光景を実感し、怖くなってきました。よくよく考えれば、なんで明かりをつける前の家の中であの女の姿をくっきり視認できたのかも分かりません。

しかしこれでやっと分かりました。いつも僕の部屋を開けようとしてたのはあの女なのだと。

 

 

 

実家に帰った翌日、退勤すると普通に寮に帰っていました。

昨日実家に帰ってそこから出勤したところ、やはり予想よりしんどかったのが理由ですし、その頃の僕はあまりの疲れでおかしくなっていたのだと思います。

その後、僕はブラックであるその会社に勤めるのがほとほと嫌になり、就職して一年も経たないうちに辞めてしまいました。辞めるギリギリまで住み続けましたが、その間も何度か扉を開けようとしていたようでしたが、姿はあれから見る事はありませんでした。

あれが疲れから見えた幻覚なのか、それとも本当に何かがいたのかは分かりません。

先日その一軒家の前を通ると、いまも誰かが住んでいました。ブラック企業はもう寮制度をやめたという話でしたから、このことを知らない誰かでしょう。

何もなければいいのですが。

 

 

 

 

おわり

仮面ライダーオーズが伝えてくれた、欲を出すことは悪じゃない

 今日で東日本大震災から10年が経ちました。

 復興が進んでいるのでしょうけど、日々ニュースを見ると復興に終わりはなく、これからもずっとこの震災と向き合っていかなければならないなと感じます。決して10年は節目とは思わず、通過点の一つなのだと考えるべきだと思います。

 

 

 

 

 

 当時は僕は学生で、春休みを利用して実家へ帰省していました。遠く離れた土地だったのですが私の実家も大きく揺れました。最初はただの大きな地震と思い、何でもない日常が続くと思っていました。

 夕方になってテレビをつけると凄惨な光景が広がっていました。テレビ越しに日本が終わるかもしれない、と本気で思ったことを覚えています。

 それからどんどん入ってくる情報はどれも心が耐えられるものではなく、それは被災された当事者の方達の比ではないと思いますが、日本全国すべての人々が不安を抱えた日でした。

 

 

 それからしばらく、日本中が我慢を強いる雰囲気がありました。震災に遭われた方達のことを考えれば何をするのも不謹慎だという雰囲気。

 テレビをつければAC、テレビ番組もしばらくはニュースのみで、発売予定だった音楽CDも軒並み延期。もちろんそれが悪かったとは言いませんし、喪に服すという日本の考え方は大切だとは思いますが、その空気が異常な形で蔓延している、そんな印象でした。

 

 

 

 

 

 ここからの話は毎年この日になるとSNSに投稿してるので僕のフォロワーの人達はもう耳タコだと思うんですが、このブログを上げるのを機に毎年同じ事を言ってしまうのをやめようかなと思います。

 

閑話休題

 

 

 この年放送されていた仮面ライダー仮面ライダーオーズでした。多くの作品の例に漏れず、震災の影響で放送の自粛による話数変更などもありましたが、個人的にはしっかりとまとまってて大好きなシリーズです。

 オーズのテーマは「欲望」。

 子供向け作品なので「欲望」は悪いもの、としてしまうのかと思ったのですが、むしろ「欲しがる事は悪い事じゃない」という事が作品の一貫した答えでした。

 小さな子供たちにとっては大人たちの異様な自粛ムードに釣られて、純粋に欲しがる事は悪とされて窮屈な思いもしたんじゃないでしょうか。当たり前のことも我慢しなければならないという空気の中で「決して欲しがる事は悪じゃない」という仮面ライダーが子供達に向けて放映されていた事は、あの辛い出来事の中での小さな希望だったと感じます。

 

 現実の出来事に対して、空想のヒーローは無力です。当時の子供たちが「なんでヒーローは助けに来ないの?」と絶望をした事もあったと聞きます。

 だけどきっと、作品を手掛けたあらゆる人たちが勇気や元気を届けたいと願ったはずです。フィクションの弱さに負けず。

 

 

 

 

 僕もこの震災の復興を微力ながらこれからも続けたいと思います。

ポケモン映画を観ました

みんな、ポケモン映画っていつまで観てた?

僕と同じくらいの世代の人(僕は1991年生まれ)だとドンピシャ初代から触れ始めた世代なので恐らくセレビィラティアスラティオスくらいまでじゃないかなぁ。

僕もラティアスまで観て一旦ポケモンを離れたので世代の話で言うとそこまでで止まっていた。

ただまぁ無事にオタクに成長して鮭の如く母川回帰して、ゾロアークあたりからはたまに行けない年もありながら継続して観に行ってる。

ただ僕はポケモンのゲームに戻っては来たがアニメには戻ってきていない。じゃぁ何でアニメの劇場版を観に行くかと言うと、「ポケモン映画商法」と呼ばれるポケモン配布があるからなのだ。

これを読んでるのはおそらくオタクの方が多いかと思うので(失礼)詳しくは説明しないが、ようは映画を見に行くと特別なポケモンを渡しますよ、というもの。

結構アコギな商売だなぁと思うし、実際結構非難を受けてるんだけど、これでもまだ良くなった方なのだ。以前は前売り券を買った人に、だったので。もちろんいまでも前売り券を買えば特別なポケモンが貰えるのだが、映画を普通に観に行くだけでも目玉のポケモンは貰えるようになった。

 

 

人を惹きつける要因になったとも言えるが同時に、この商法のせいで犠牲にしたものもある。

「映画のストーリー」である。

ゲームが大元でアニメは販促とまで言われているポケモンだが、劇場版に関してはこれが顕著。

大体は目玉ポケモンが悪者に捕まる(ミュウ系統の幻ポケモンは大体これ)か悪者に起こされた目玉ポケモンが暴れるの二択。それをサトシが「やめろーっ!」って言って止める。映画のコナンで必ず「らーん!」って叫ぶようなもの。もはや様式美。お約束だから変える必要はない。

 

 

 

 

 

なんて事はないのである

コナンは確かに蘭の事を呼びがちだが人気キャラを従えながらも、もちろん元がしっかりとしたストーリーのある漫画なので内容も良く興行収入を毎年更新する中、ポケモンはいまいち伸び悩んでいた。

もちろんポケモン映画も名作と呼ばれる作品はある。個人的にもミュウツー、ルギア、ラティアスラティオスなんかは本当に良い作品だと思う。

でも最近はずっとワンパターンでマンネリ…とおそらく誰もが思っていたであろう2017年。そんな現状を打破する作品が公開された。

キミにきめた!」である。

ポケモン映画20作品目のメモリアルとして作られたサトシとピカチュウの出会いのリメイクと呼べる作品である。

それまではその時期放送されてるテレビアニメのいわゆるエクストラステージの様な作品だったのを完全にテレビアニメとは切り離し、映画単独で観れる作品にしたのが「キミにきめた!」である。

初期の人気エピソード「バイバイバタフリー」やヒトカゲのエピソード(少し改編あり)を入れて、第1話から延々ほったらかしにしていたホウオウとのエピソードを主軸に置くという、これでもかというほどの古参釣り作品だ。

もう20年も前になってしまったサトシとピカチュウの出会いを改めてやることで現在のちびっ子たちにも優しい。

旅に同行するのがタケシ、カスミではなくなっていたり、どう考えても必要のない目玉ポケモンの存在があったり、極端に賛否両論を呼んだピカチュウお喋り問題など、作品の粗自体は確かにあったのだが、これがバカ受け。制作陣もこれに気分を良くしたのか翌年も本編のサンムーン編は無視してストーリーに力を入れた「みんなの物語」を制作。前年のキミきめ越えはならなかったが十分と言える評価を得た。

そして謎の3Dリメイクミュウツーを挟んで、コロナ禍のせいで延期して「冬もポケモン」という新たなコピーを携え今年度公開されたのが新作「ココ」である。

前置きが長くなったがここからその「ココ」の感想である。

 

 

※ここからは多分にネタバレを含みながら語るので、これから観るよ、新鮮な気持ちで観たいよ、という方は迷わずバック推奨。

 

 

あらすじ

ポケモンマスターを目指して旅を続けている少年・サトシとピカチュウはオコヤの森でポケモン・ザルードに育てられた少年・ココと出会う。(Wikipediaより抜粋)

 

 

 

上記の簡単なあらすじを見て見識のある皆様ならもうお分かりだとは思うが、身も蓋もなく言ってしまえば「ターザン」である。

ゴリラに育てられた然り、狼に育てられた然り、もはや王道も王道。親の顔よりは言い過ぎかもしれないが、たまに法事とかで会う親戚よりは見たことのあるありふれた設定である。

逆にこれだけ王道の設定なので安心感すらある。奇を衒わなければまず間違いなく面白くなるのが目に見えている。安心して映画館に行こう。

 

 

 

絵に描いたような王道展開

さて、実際に観に行ってみると…。

うん、思い描いていた通りの展開だ。

森に捨てられた子供を見つけた猿のようなポケモン・ザルードは彼のことをココと名付け、群れから追い出されながらも育て始める。

人間の街に置いていこうとも考えたし、親の手がかりも探した。しかしその過程でココの本当の両親が既に亡くなっていることを知り、自分の手で育てていく決心をつける。大変ながらも子育てを通し2人は本物の親子になっていく。

最初予告とか見てた感じはザルードは嫌々育ててるのかなぁと思ってたがそんな事はなく「さすがは俺の息子」と親バカなところを序盤から見せてくれたのでなんだかホッコリする。

森のポケモンたちを助けながら暮らしてたココだが、ひょんなことからサトシと出会い人間の存在を知り、自分がポケモンではなく人間であることを知る。人間と仲良く暮らすポケモンや街で出会うアイスや花火、新鮮な驚きに満ちた人間の世界。彼はそれを教えてくれなかったザルードに怒りを覚える。

育ての親であるザルードと本当の親子ではないことで喧嘩してしまうが、そんな2人の暮らす森を悪い人間が荒らしに来て…。

 

ね、みなさん。

見たことあるでしょ?

もうここまで読んだみんなは観なくても良いだろと思うだろうが、僕が感動してこうやって感想を書き出したのは最後の終わり方にある。もう少しお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

成長だけで終わらせなかった自立の物語

終盤、悪者を倒すことができたが彼らの住む森は目も当てられないほど荒れてしまっていた。

しかし、森に住むポケモンたちと、一時は悪事に加担してしまった人間たちが手を取り合い森の復興を進める事になる。

それを目にしたココは感動し、自分もポケモンと人間の架け橋になりたい、それが自分にはできると確信する。ポケモンの言葉が分かり、そして種族としては人間である自分だからこそ。

サトシが森を旅立つ日、その背中を見送ったココは父であるザルードに「旅に出たい」と告げる。何を馬鹿なことをと一蹴するザルードだったが、彼の本気な姿を見て「勝手にしろ!」と怒ってしまう。一抹の寂しさを感じながらもココの決心は固く、家と言うか巣に帰り荷物をまとめて身支度を済ませる。

しかし、実は怒ったフリだったザルード。森のポケモンたちに彼の旅立ちを盛大に祝って欲しいとお願いしていたのだ。

サトシを追って駆け出すココ。サトシを見つけた瞬間、急いでいた足が絡み合い転んで荷物をばら撒いてしまう。彼の鞄の奥から転がり出たのは父であるザルードと植えたモモンの実。

「俺、こんなの入れてない」

瞬間、最大に上がる"花火"。彼が出て行くことを何となく勘づいていた父からの別れの挨拶だった。

それを見て泣き、そして拭い彼は走り出す。

「サトシ、またどこかで会おう!」

サトシを追い越し、ココは広い世界へと旅立つ。

 

 

 

 

 

 

僕が感動したのはただの成長物語として終わらせる事なく、ちゃんと父から自立する少年の物語に昇華した事だ。

人間とポケモン、種族の違う彼らが本当に絆で親子になったところで終わらせず、そこからもう一歩踏み込んで親子に起こり得る親からの自立を描いたのが素晴らしい。

森を守っていくという安易な決着ではなく外を見たい、新たな夢を見出した子と、それを不器用ながら送り出した父の、時代が変わっても不変の親子愛の物語を、まさかポケモン映画で見れるとは思わなかった。

 

そしてポケモンの素晴らしいところはもう一つ。

サトシとココが連れ立って旅立たなかったこと。

彼らにはそれぞれ目指す夢があって、きっと2人でもその夢を追えたのかもしれないけどそうはしなかった事が素晴らしい。

ポケモンは過去の映画やテレビアニメでもそうだが、それぞれの夢のために仲間と別れ旅立つ事が多い。まぁレギュラー交代とも言えるのだが、これは冒険物語としては描かなければいけない事だと思う。

夢を追う仲間がいて、決して一緒にいる事だけが仲間じゃない。離れていても道が違くても同じように頑張る仲間がこの世界のどこかにいるだけで自分も頑張れる、これも自立の話なのである。

僕はこのお話を観た時、間違いなくポケモン映画の歴史に残る名作になると確信した。

 

 

 

 

 

岡崎体育の音楽の素晴らしさ

ここからは少し蛇足。

今回の「ココ」は全編音楽を岡崎体育氏が担当されている。

言ってしまえば「ポケモン映画のRADWIMPS」と化したのだ。(なんのこっちゃと思った方は近年の新海誠作品をよろしく)

この音楽がまた素晴らしい。

岡崎体育、どれだけ音楽の引き出しがあるんだと驚かされる。

特にこの映画の象徴的な音楽である「ふしぎなふしぎな生き物」。

ポケモン初期をご存知の方はご存知かと思うがポケモンは「ふしぎなふしぎなポケモン」と銘打たれていた。ここにかけてタイトルは「ふしぎなふしぎな」としているがこの曲で登場する不思議な生き物は父から見た子供である。

映画とシンクロして泣けるのはもちろん、曲単体で聴いてもとんでもなく名曲。トータス松本さんの歌声がまた父感があってまたベネ。

流石にポケモン映画観に行くのは恥ずかしいぜ!って方もこの曲だけは是非聴いて欲しい。

 

 

 

 

 

 

おわりに

今回の「ココ」は残念ながらコロナ禍の中にあって興行収入は伸び悩んでいるようだ。

この名作が埋もれてしまうのは実に残念なので、後年でもいいので評価されて欲しい。

ポケモン好きでもそうじゃない人も、観て損はない作品になっていると思う。

とりあえず「ふしぎなふしぎな生き物」だけでも聴いて?

僕とゲームセンター

ハイスコアガール」。

ゲームセンターに通う僕らのような人種にも熱がある事を証明してくれるような熱い青春漫画だった。

僕がゲーセン通いをしているというと、毎回驚かれる。一昔前までゲームセンターは不良の溜まり場という印象があり、それがいまだに尾を引いてるのだろうか。自分でも思うが僕はヤンキーとかそういう類とは真逆の人種だ。

僕自身小さい頃から親にゲームセンターは行く場所じゃないと教育を受けたのであるきっかけがなければ通うなんてことはなかっただろう。そしていろんな素敵な人たちと出会うこともなかったと思う。

あるきっかけとは「ロードオブヴァーミリオン(以下LoV)」というスクウェアエニックスから出ていたオンラインカードバトルゲームである。それは僕にとってはただのゲームと呼ぶのは憚れるほど、大切なものだった。今回はその、LoVを通して得た思い出を語りたい。

 

 

 

 

僕がLoVの存在を知ったのは高校生の頃、「鋼の錬金術師」目当てに買っていた月刊少年ガンガンに載っていた記事がきっかけだと思う。「黒神」という漫画のキャラがコラボ参戦という記事だった。どんなゲームかもわからなかったけど、「黒神」は絵が好きだった(というよりエロかったから好きだった)ので気になった。そのタイミングで始めることはなかったが、思い返すとそれが最初のLoVの記憶である。

 

本格的な出会いを果たしたのが高校三年生の時の教室、だっただろうか。いや、二年生?ちょっと記憶があやふやだが、学校の教室でLoVのカードを机に並べていたボン(仮称)とニノ(同じく仮称)がいたのは間違いない。彼らはカードを並べてあーでもないこーでもないと話していた。何それ?と話しかけたのを覚えている。そこでLoVという存在を教えてもらった僕は興味を持った。

彼らに連れられて、普段行くようなクレーンゲームコーナーのさらに奥の暗がりの深いスペースへと行った。そこにLoVの筐体が4つ並んでいた。こうやって振り返ると10年近く前の話なのに筐体が並ぶ姿が思い出せる。なんだかノスタルジーだ。

 

僕の思い出語りなので詳しいルールやらの話はここでしないが、複数枚のカードを使って陣取り合戦をする対戦ゲームである。当時は1対1のゲームだった(のちに4対4のチーム戦になるがそれは後ほど)。これだけ聞いてもピンと来ない方はYouTubeとかで調べてもらえるといいかもしれない。

これとか分かりやすい…か?

とにかく、このゲームは全国の同時間に対戦に出てる人とマッチして対戦するゲームなのである。これを人に説明すると結構な確率で「え、じゃあこのいま対戦してる人はどこかで同じようにゲーセンでこのゲームやってるの…?」と聞いてくる。いや、そう言ってるやんけ。でもこの手のオンライン対戦ゲームやってない人には衝撃なのである。僕も最初はその口だった。オンライン対戦ゲームをやったことないって人は結構な割合存在するし、初めて聞くとなんて画期的な!と思ってしまうのだ。いまはそこまで珍しくないけど。

僕は部活はバスケ部に所属こそしていたが、運動音痴なのでそこで勝ったという成功経験が薄い。相手を打ち負かして勝つという快感を知ったのはおそらくこのゲームが最初である。いまこの画面の向こうで悔しがっている誰かがいるという快感は筆舌に尽くしがたい。こう書くと死ぬほど性格悪いけど、運動とか得意な人も分かるでしょ、この気持ち。

所詮ゲームと言われればそれまでなのだが、ゲームにも運動と同じように繰り返すことで自分の成長を実感できる。e-sportsとはよくぞ言った。多分ゲームのこの成長する経験をしたことのない人にはスポーツと呼ぶわけが分からないんだろうなぁと思う。

閑話休題

 

気付いたら僕は一人でもゲームセンターに行ってこのゲームをやるほどハマっていた。このゲーム、1プレイで1枚新しいカードが出てくるので、みんなの持ってない新しいカードを密かに引きたいという欲求もあった。この、ゲームをやりながらTCGのようにカードを引く快感もあるのって、ある意味ギャンブルより依存度が高いと思う。良いカード引いたときの脳汁の出が凄い。

そんなある日、ボンとニノが中学時代の同級生と一緒にゲームセンターにやってきた。えいちゃん(仮sy(ry)とごろう(かs(ry) (どうでも良いけどいま(ryって誰も使ってない?インターネット老人感がする)の二人で、地元で一番の進学校に通う同級生だった。僕はまぁ、人見知りしないフリが得意な人見知りなので何となく絡みやすい雰囲気を出しながらもガチガチに緊張していた。

なんでも彼ら4人は幼馴染で、このゲームも4人で始めたらしい。僕は急に現れた新参者なわけだ。それはもうかしこまった。なんだか4人の仲に入っていくのは憚られるように感じた。

でも二人は本当に気さくで、こんなゲームセンターの暗がりでゲームやってる人はさぞ根暗なコミュ障だろうと思っていた失礼な僕の考えを見事に打ち砕いてくれた。というか僕自身が根暗なコミュ障なのである。外面だけはいいのだが。

 

それからは五人で遊ぶことも増えた。ゲームセンターだけの繋がりから始まった仲だが、ゲーセンの外でも遊ぶことが多くなった。お互いオタクだったのでそれぞれの得意ジャンル毎にオススメを話し合って話を聞き合った。

大学時代はそれぞれ住んでる場所がバラバラだったが、毎日のようにSkypeを繋いで夜通し語り合った。将来の話やお互いの恋愛事情なんかも話した。出会った当時、僕はこんなに深い仲になるとは想像もしなかった。いまでは本当に大切なかけがえのない友人である。なんか同じゲームをやっていたから友達と呼ぶより仲間と呼ぶほうがしっくりくるんだけど。

 

それと、同じようにここで語らなければいけないのは「LoVSNS」の存在。まだまだTwitterとかFacebookが普及しきっていなかった(と僕個人は認識している)当時、LoVをプレイしている人たちが情報交換等をするSNSが存在したのだ。いよいよインターネット老人感の強い記事になってまいりました。

もちろん僕らもここで日々のプレイ雑記を書いたり、何でもない日々の事を書いたり、まぁありたいに言うと同じゲームをプレイしている人たちのブログの集合体みたいなものである。

全ての利用者が閲覧できるので、気になった人と交流したり情報交換したり、果てはカードの交換なんかもしていた。

僕とえいちゃん、ごろうとボンはそのSNSに二次創作の小説を上げたりもしていて、そこそこ読んでもらったと思う。

そこで出会った人たちとリアルでも会って一緒にプレイしたり、飲みに行ったり…ゲームがきっかけとは思えないほど、濃い交流をしている。こういう繋がりって周りの友達に言うと「そういう同じゲームをやってるってきっかけで仲良くなるのってすごいね」と言われるのだが、もともと好きが同じなので仲良くなるのは早いと思う。

 

 

僕が大学を卒業する頃、LoVはナンバリングが変わってLoV3になった(説明し忘れたが僕らが始めた頃は1だったが大学進学の頃に2になっていた)。

先の動画で紹介した1対1のタイマン戦だったそれが4対4のチーム戦に変わったのだ。

動画のプレイヤーが下手なのには目を瞑って欲しい。見比べてもらうと一目瞭然、全くの別ゲームになったのだ。

最初はワクワクしたのだが、このチーム戦というのが自分の性に合わなかった。

僕はどんなゲームでも自分のこだわりが強く、ポケモンならどんなに貶されようが自分の好きなポケモンしか使わないし、これと決めた自分のスタイルを崩すのが極端に嫌いなのだ。

LoVもとにかく自分の好きなカードで勝つことが楽しかったので、周りに奇抜だと言われようがそれで勝って快感を得るタイプだった。

しかしゲームって煮詰めてくると「勝つための最適解」というものが生まれてくる。こと、対戦ゲームに関してはこれは顕著だ。ネット文化が発展した今では少し調べれば何が強くて勝ちやすいかはすぐに分かる。

一人で勝ちにくいマゾデッキを使うのは個人の自由だから構わないが、チーム戦となるとそうはいかない。最適解を用意しないものはその時点で勝つ気がない、舐めていると思われてしまう。だからと言って勝てるためのデッキを使う自分を己自身が許せなかったのだ。

好きなカードを使わず勝つゲームならやりたくないなぁという思いと、社会人になったことで忙しくなり、少しずつゲーセンから足が遠のいていった。

僕がやることがなくなってもLoVは続いていたし、アニメになったりもしたし(あんまり話題聞かなかったし黒歴史かな?)、新情報があれば目を通していた。なんとなく思い出のゲームであるLoVはこれからもずっと続くのだろうと信じて疑わなかったのだが、昨年シリーズの終了が告げられた。

これにはもうプレイしていない僕も少なからずショックを覚えたし、ゲームセンターで過ごした青春の終わりを感じた。悲しさというか胸にぽっかり穴が開くような喪失感があった。

 

これでゲームセンターで繋がっていた人達と離れていってしまうのだろう、何だか寂しいなぁ。と思っていたのだがTwitterの繋がりを通じて細く長くいまも交流は続いている。

これは本当に嬉しいことだし、このコロナが終わったらフォロワーさん達に会いに行きたいなぁと心底思っている。

 

 

 

僕は一人でゲームセンターによく行っていた。それを周りの普通の人に言うと不思議がられる。一人で行って楽しいの?と。でも僕は一人でゲームセンターに行って、その日の結果をSNSで報告して、それに反応してもらえるのが好きだった。とても強く人との繋がりを感じるのだ。

LoVの終わりと共に終焉を迎えた僕の薄暗いゲームセンターの奥の青春は、おそらく僕の青春の中で一番輝く思い出なのだ。

夕暮れ顔(短編)

 教室の外を見ると、外はもうすっかり夕方で、夕暮れのオレンジが中にまで侵入してきていた。教室には僕と恵利子だけだったので電気はつけていない。遅くなる前に帰ろうと話していたので、きっとこのまま電気はつかない。手元のレポート用紙が見えなくなる前に帰るのだろう。

 二月になって三年生は登校の必要がなくなって、教室は常に空になっていた。希望があれば登校しても良いことになっているが、入試の追い込みで生徒たちはほとんどいない。進路の決まった生徒がたまに気まぐれで来るくらいで、僕らもその口だ。

 恵利子は少し前に勉強に飽きてしまったようで黒板に落書きを繰り返している。たまに渾身の出来があると振り返って僕に「これ何か分かる?」と聞いてくる。適当にあしらうと拗ねるので、その都度真剣に考えて彼女の描いたものを当てている。絵が上手なので実際は当てるのは難しくない。美大に進学しなくていいのかと聞くと「絵で食べていけるとは思えないし」といつも寂しそうに笑った。

「僕は恵利子の絵好きだけどなぁ」

「私より上手な人なんて数え切れないほどいるよ」

 そんなことを言ってしまったら誰も夢なんて追えなくなってしまうじゃないか。それに、僕は彼女が夢を諦めた理由が他にもあることを知っている。だからこれ以上は僕からは進学の話をしない。彼女は地元の小さな会社に就職が決まっている。

 彼女は相変わらず黒板に絵を描き続けている。恵利子の方から教室で勉強しようと言ってきたのに。でも彼女はもう課題も何も全て終わらせているから、本当は勉強なんて誘う必要がないことも知っている。恋人である僕との時間を作りたかった、と思うのは思い上がりだろうか。

「私は君の方が心配だよ。一人でやっていけるの?」

 遠く離れた地方の大学への進学が、十一月の推薦入試合格で決まっていた。恵利子も最初進学を希望していた芸術大学であり、僕は映像専攻で進学することになる。同じところを目指そうとしていたわけではなくて、僕が進学が決まった時に彼女も少し前までその大学のことを調べていたことを知った。彼女の好きな画家の出身大学だったそうだ。僕らの住んでいる田舎からは公共交通機関はまともに通っていなくて、高速バスが日に二本しか無く、片道五時間以上かかる。この春から二人は遠距離恋愛になる。簡単に会えなくなる距離に怯えて、いまのうちに思い出を増やそうとしてる僕の焦りが、彼女にも伝播したのかもしれない。

「やっていけるよ。僕は一人でも平気な質だから」

「家事とかできるの?ご飯とか作れなさそう。そばにいたらご飯作りに行けたのにね」

 彼女がご飯を作りに来てくれる姿を想像して、でもそれは叶わない事に気付いて僕は気持ちが暗くなる。

「なんとかなるよ。いまはいろいろ便利なものあるし、ご飯とか家事はきっと一人でも」

「私はいなくてもいい?」

「なんでそうなるのさ」

「ごめん。でも最近考えちゃうの。うち、一応進学校でしょ?友達もみんな地元を離れるし、私だけここに取り残されるみたい。きっと君も新しい環境が楽しくて私のことなんて忘れちゃうよ」

 彼女は笑ってみせた。彼女は自分に自信がない。絵のことも、自分自身のことさえも、誰にも記憶されることなく消えていくのだと信じているのだ。僕はそれを思うと悲しくなる。忘れるわけなんてないのに。頭が、心が目に見える形で開いて、中身を見せられたらどんなにいいだろう。君への愛がどれほど深くて、どれだけ大きいか、きっと君は気付いていない。そして恵利子の悲しみを、僕は全ては理解していないのだろう。誰も相手の気持ちを正確に理解できない。だからこそ、自分の想像より恋人である彼女の恋心が大きいことが僕は嬉しい。

「忘れるわけないよ。僕は距離になんて負けない。毎日電話をしよう」

「電話苦手でしょ」

「恵利子なら別」

「じゃぁ暇な時に電話して。私はいつだって出るから」

「暇じゃなくても電話させて。僕は君の声が好きだし、君と話してる時が一番幸せだから」

「そういう事、いままで付き合った人にも言ってたと思うと嫉妬する」

「恵利子にしか言ったことないよ」

「ならきっと、これから付き合う人に言うのね」

 ここまで卑屈なのはさすがに少しイラっときてしまう。

「僕は恵利子が最後が良いんだけど、君は違うの?」

「私もそうなら良いなって思うよ。でもそう言うと君を縛りつけちゃう」

「僕は君を束縛したいくらい大好きだし、君にもそうであってほしいけど」

 彼女の顔が少し赤くなったように見える。夕焼けの赤色じゃなければだけど。

「恥ずかしくない?そういうセリフ」

「僕恋愛映画とか好きだからなんとも」

 手元がいよいよ見えなくなってきた。僕はレポート用紙を鞄にしまって立ち上がる。彼女も机に置いてあったノートと筆記用具を鞄に入れて帰る支度を済ませる。

 僕自身、これから遠く離れて自分の気持ちがどう変わるかなんて想像もできない。なるようにしかならないけど、いまのこの気持ちを大事にしていきたいと、そう思う。遠く離れても同じ夕焼けを見るのだろうし。

「じゃぁさ」

 彼女は鞄を肩に掛けながら言う。

「恋愛映画みたいな事をしよう」

 そう言ってキスをした。短い、本当に一瞬のキスだった。

「これこそ恥ずかしくない?」

 今度は疑いようのないくらい、顔が真っ赤だった。

 

 

おわり